中ア縦走 (南駒ヶ岳2841m → 仙涯嶺2734m → 越百山2613m、生きて還える事)

「今年のカレンダーを見て愕然、土日に被る祝日が3日もある」というネット記事を読み、「えぇー、そうなんだ」と諦めていたが、何と我が社は全て振替休日の措置があった。 それにより今週末は3連休。 「ここで行かねばいつ行く」と、以前中ア通から「南駒は越百の倍キツイすよ」と聞いた、憧れの南駒・仙涯嶺・越百縦走へ向かう。 雪がない季節ならともかく、残雪多いこの季節に、とてもこの周回コース25km・標高差1800m、累計標高2700mを日帰りで回る自信はない。 立てた計画は擂鉢窪避難小屋一泊。
BTW、猿投山行方不明者の捜索に明け暮れたここ1ケ月、発見できていない状況で他の山に行くことは気持ち的に整理がつかないが、この棚ボタはおいしく頂こうと。
しかし、不明者捜索を機に登山と命について色々考えていたが、よもや自分の生命の危機を本気で案じる山行になるとは思っても見なかった。

いつもの駐車場で車中泊。 誰もいないと思っていたが空木日帰りの男性がおり会話。
私 「南駒、避難小屋泊の越百縦走です」
男性「擂鉢窪の避難小屋?。。。あそこで数日前に死後だいぶ経った遺体が見つかったらしいです」
私 「えぇ。。。(絶句)」
どよーんとした気持ちのまま、稀にしか使わないGregory62Lに水3.5L、2日分の食料、雪具、防寒具を詰め、朝5:30エントリ。
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「数ケ月前ならともかく、数日前って。。。オレが発見後初宿泊者のはずやん」と、避難小屋に泊まるべきか悶々としながら林道を歩き、6:00登山口へ。 最初から出ている結論は「シュラフも持ってきていないので泊まるしか選択肢はない」
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急登が延々と続く。キッつー。
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2時間で1850m見晴らし台。 美しい御嶽を見て、再び奪われた多くの命について考える。 しかしあまりにも遅い。 「まぁ夕方までに避難小屋に着けばいいし」と余裕をかます。 こういう点が14時着でも「遅い!」と怒られる山小屋と違って気楽なところである。
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ほどなくノリダーも見えてきた。 もう既にヘナヘナ。 重い身体と重いザックを恨む。 私も「ダイエットのために登山する」派であるが、全く間違っていた。 登山とはダイエットしてから臨むものである。
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明日登る越百がどっかーんと見えだした。 「へぇー、こっちから見るとこんなに勇ましいんだぁ」と不思議な感じ。
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越百小屋も見える。 「へぇー、こっちから見ると、あんなコルにあるんだぁ」と不思議な感じ。
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大幅省略で、12時前にようやく南駒が見え、ここからアイゼン着。 バテバテで食欲も全くなく、さほど喉も乾かないため、ほとんど何も口にしておらず、ザックが軽くならない。
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植物限界点前のハイマツ地帯。 アイゼン脱ぐタイミング判らず岩場も履きっぱなし。 あまり人が歩くルートでないのもあり、ハイマツが足に絡みつき歩きにくい。
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空木もくっきり。 えぇー天気でよかった。 最高の天気である。
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明日の御馳走、仙涯嶺→越百の稜線。
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ニセピークに騙されること数回、その度に折れそうな心を立て直し登る。 まだ頂上に辿り着かない。 ガスってきた。
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ここまで断続的に現れる雪庇を注意深く乗り越える。 ここまで誰一人とも会っていない。 この先も誰にも会わないだろう。
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慎重に雪のナイフリッジを渡る。
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15:30やっとこさ念願の頂上。 ここまで10時間、笑えるほど遅い。 時間に余裕があるのをいいことに、普通の2倍の速度で贅沢に登ってきたが、体力のかけらもないぐらいにヘナヘナなのが実情。 ピークハントできたが惨敗である。 明日朝またここに戻ってこなくてはならない。
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絶景やぁ。 素晴らしい天空のルート。 いい稜線。 明日の御馳走を前にヨダレが垂れる。
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しばし絶景を楽しみ、今日のお宿、いわくつきの避難小屋(写真中央の赤い点)へ300m下りらなければならない。 唯一のルート赤梛岳間コルからのルートを確認しに行くと絶句、完全に雪に閉ざされている。 「やっばぁー、ここはいくら何でも下れん。 500%滑落するわ」と引き返し、頂上から下りれそうなルートを探す。 何とか行けそうなルートを見つけ、シミュレーションしてから、心を決める。 ザレ場を下り、雪渓を三点支持のキックステップで慎重に横断。 続いてハイマツ藪漕ぎ、再び雪渓を木につかまりながら何とか300m下り切った。
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見上げると絶句。 完全に雪壁に閉ざされた世界。 こんな所に降りて来たことが正解だったのか、明日登れるのか。。。と絶望的な気分になる。 思うにここで亡くなった方も、この雪壁を登り切ることができずに小屋で衰弱死したのであろう。
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「とにかく室内に」と、避難小屋の扉を開ける。。。ビクともしない。。。「えぇー、まさかの!!」と絶叫。 こんなところで締め出されては死しかない。 よく見ると「こちらの扉は冬場は閉鎖してます。東側へ」の張り紙。 「何だ、びっくりさせるなよぉー」と東の扉へ廻り、ノブを回し、扉を左にスライドするが、これまたビクともしない。。。。誰もいない雪山で二度目の「えぇー、まさかの!!」が雪壁にこだまする。  よぉーく見ると「ノブを回して普通のドアのように押してください」の張り紙が。。。スライドでなく、押してみると開いた。 ホっ。
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恐る恐る扉を開ける。 人が死んでいようが構ってられない。 自分の命の方が大切である。 体力を回復しなければ明日はない。 バナナとアミノ酸を胃に流し込み、とりあえず仮眠するが、雪でベタベタになった身体が冷えて足攣りまくり。 誰もいないので毛布4枚を使い暖をとり、コムレケアを飲み、何とか痙攣が治まった。 この毛布が異様に臭い。 人生で嗅いだことのない臭さ。 想像はつく。。。が、そんなことは構ってられない状況。 自前のネックウォーマを鼻にかけ、何とか凌ぐ。 同じ臭さでも慣れ親しんだ臭さの方が数段いい香りに感じる。
ものすごい不安で全然眠れない。 この毛布の臭さは遺体がまとっていたのだろう、何か出るかなぁ。。。という不安なんかより、この雪の壁に囲まれた窮地から自分は脱出できるのか、そんな体力はどこにも残ってない。 大して体力も技術もないのに、好きというだけで3000m級の雪山に挑む自分の愚かさを恥じた。 よく「登山好きは自分が好きで登ってんだから、山で死ねれば本望」というが、猿投山の行方不明者、御嶽の犠牲者、ここで亡くなった方を思うと「そんなことはない、死とはもっと孤独で過酷で苦しいもののはずで本望という死に方は存在しえない」と思った。 かみさんと子供の顔が浮かぶ。 とにかく生きて還らねばならない。 ウトウトしている中、時折、どうにもアイゼンの踏み音にしか聞こえない音が。 何かが小屋の周りを徘徊している。 「こんな夜中に誰が歩くんだ? 違うなぁ。。。熊が扉破って入ってきたらジエンドやな」とビクビクしながら夜を過ごす。
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ほとんど眠れず、暴風で軋む小屋のガタガタ音で朝4時起床。 とりあえず筋肉痛もなく体力回復。 「やっばぁー暴風じゃん。。。」と扉を開けて絶句。。。。「えっ。。。何も見えへん。。。」。 向かうべき南駒がどっちの方向かも全く判らない。 雪、暴風、濃霧の三重苦の絶望的な状況。 明日は雨の予報なので、ここに居座る訳にはいかない。 「できる、絶対できる、絶対稜線まで登り切って見せる」と心を奮い立たせ何も見えない暴風の広い雪原を歩き出す。 稜線まで登り切っても、この濃霧でその先のルートが判るか?ということは二の次。 まずは昨日見た南駒ピークの傍らの岩の赤ペンキ「←コスモ」に辿り着かなければ命はない。 前日踏み跡を強めに付けて下ってきたが、どこをどう下ってきたのかもさっぱり分からない。 トレポを短くし、キャップを外しピッケルライクにし、木に掴まりながら雪の急斜面をよじ登ること30分、幸運にも自分の踏み跡を発見できた。 「これでこの雪渓を横断できる」と光が見えた気分。 難関の雪渓を超えてからはハイマツ踏み倒しとザレ登り。 それにしても凄い風、台風レベルの風速30mぐらい。 分厚い雲の中なので横殴りの小雨同然。 耳元では爆音鳴りっぱなし。 ぶっ飛ばされそうなので、ほとんど四つん這いで急登をよじ登る。 リアル地獄絵図。 こんな3000mの高山で、こんな早朝に、こんな爆風の、こんな濃霧の中、50過ぎたおっさんが四つん這いで何も見えない山頂目指して命懸けでよじ登っているなんて誰が思うだろう。 自分がこの極限の状態にいることが非現実的な悪夢のようだった。 とにかく生きて還ること。 浮かんでくる家族の顔に「絶対できる、絶対生きて還ったる」と何度も声に出してよじ登る。 写真を撮る余裕など微塵もなし。
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6:45、1.5時間の地獄絵図を越え昨日のピーク到達。 ベッタベタ。 ここから翌日まで鼻水止まらず。 とにかく生きていることに感謝。 しかし、このガスの中、この先の長いルートは判るのか。。。。とにかく「←コスモ」を信じて歩を進める。
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南駒第二ピークを越えるがずっと五里霧中。 矢印を信じて進むが、何度もルートは雪で閉ざされ、落ちたら「ハイそれまで」の緊張の連続。 冷静に進めそうなルートを判断し、キックステップとルート無視のハイマツ踏み倒しで、何も見えない雲の中歩を進める。
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ベタベタ+暴風で寒いのなんの。  何も見えへん。 どっちに向かって歩けばいいのか。 筋を間違えたら最後。
しかし50を過ぎ、故親父にそっくりになってきた。
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7:45、「ん??雲の動きが速くなった、来る、来る!」と思った数分後、「来たぁ!」雲一掃。 進むべきルートが見えた。 険しい仙涯嶺を前に天気好転とは。。。ついてる。 進む先が見えるのと何も見えないのでは、カンニングするかしないかぐらい違う。 どこに向かって歩いているのかも判らなかった状況から脱することができた。
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進んでは雪の急斜面にブチ当たり、ここは無理と引き返す。 行けそうなルートを慎重にシミュレーションしながら進む。 ハイマツ踏み倒しでアイゼン引っ掛け何度も転倒、ズボンは左右ビリビリ、腕は傷だらけ。 何とか南駒を抜け、仙涯嶺と対峙。 男前でかっこいい。
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険しい仙涯嶺の岩場を登る。 途中ルートは雪に閉ざされ、見上げながら、「多分あそこに行けば何とかなる」と、雪壁に5キックステップで穴を作りながら、木に掴まり一歩一歩登る。 キツイが楽しいことこの上ない。
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足場もない鎖場を越え、険しい仙涯嶺をよじ登り、9:45ピークハント。
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進むべき越百へのビクトリーロードもクッキリ。 暴風は相変わらず。 暴風に乗じて何度も手バナを噛む。
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ビクトリーロードまで来ると一安心。 下ってきた南駒を振り返る。 「あんな険しい所下りて来たんだぁ」と何度も別れを惜しみ振り返る。 ようやくアイゼンを脱ぐ、というか長年の酷使のためブッ壊れた。  「ここを歩く時に聴こう」と購入後1年温存していた山根麻衣の曲を聴きながら歩を進める。 「今晩何食べようかなぁ」と考える余裕も出て来た。 何気に振り返ると真後ろ1mに30代の男性がいてビックリ。 (小屋から霊を連れて来たと思った) 暴風の中、大声で「まさか人に会うとは思わなかったですよぉー」と叫びながら会話。 風のないところで一緒に食事休憩。 聞くと、朝5時から登り、6時間弱で南駒、仙涯嶺を越えて来たとのこと。。。。絶句、南駒まで10時間かかった私は何者? うらやましい脚力である。 「アミノ酸底ついて、もう足が上がりませんわ」というと、「これどうぞ」とアミノ酸とクエン酸をくれた。 感謝。
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12:00越百ピークハント。 ここに来て、もう命の危機は去ったことを確信した。
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まずは赤い越百小屋まで。 遠いなぁ。 越百ピークからの下山道に入って、8時間も悩まされた暴風音が耳元から消え、ほっとした。
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越百小屋からも長い長い道で、本当に歩くのがイヤでしょうがなかった。 貰ったクエン酸を水に溶かし、これを飲みながら、ガラパゴス象亀の歩みで、ようやく林道に。
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18:00ようやくゲート。 生きて還れたことに感謝。 こんな体力のない人間がエラそうに挑むルートではなかった。 車に乗り、電波が繋がったところでかみさんに一報。
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もはや幻に思える2日目早朝の地獄絵図。 どれだけ危険な状況に陥り、それを脱したかは武勇伝でも何でもない。 むしろ、登山する者としては、その危険な状況に陥ったことを恥じるべきである。 全ては「いかに安全に終えたか」のための計画と行動とそこまでの訓練が登山の本質である。

思い返してみると、たくさんの幸運が重なった。 避難小屋で毛布が4枚使え暖をとれ痙攣が治まったこと、雪渓で踏み跡を見つけれたこと、地獄絵図を乗り越えるのが朝イチの体力がある時だったこと、南駒下りで天気が好転したこと、お兄ぃーさんからアミノ酸を補給してもらえたこと。 色々な幸運に感謝。 しかし自分のダメさ加減が身に染みた山行であった。

帰宅後、息子からは「何か痩せたよねぇ」とあり。
 →2日間ほとんど何も食べてないから当然
かみさんからは「くっさぁー、嗅いだことない臭さ、捨てるよ」と、アイゼンでひっかけ左右破れまくりのズボンをポイされた。
 →あの毛布の匂いである。 
毛布のいわくも、地獄絵図の話も一切言わず、風呂に入り爆睡。 
(すいませんがかみさんと繋がってる人はチクらないでください)。


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ネットで遺体の件を調べた。 空木避難小屋じゃない?と一瞬安堵したが、それは空木の東側だし、ヤマレコに「擂鉢窪避難小屋で遺体を見つけ警察に連絡した」との記事があった。(その方は、遺体と一夜を共にしたはず)


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あんな怖い思いはもうしたくないが、「これ食った」とかの記事をSNSにアップしてる人やゴルフやパチンコで週末を過ごす人達に比べたら何億倍もスリリングな経験ができ、「生」を実感できたと言える。 命懸けで登ったあの脱出劇は一生忘れることがないだろう。

(2017/6/9-10)

(後記)
疲労骨折で足の甲・くるぶしがパンパンに腫れて、一週間経っても痛みが残っている。 それより、あの極限状況が恋しくなってる自分に気付く。。。ヤバイ。

(後記)
遺体発見当日の避難小屋の記事を見つけた。
▽▽▽ 以下引用 ▽▽▽
避難小屋に行くと、とてもショッキングなことになっていた。先着の方が小屋の中に入らず外で泊る準備をしていて、話を聞くと、小屋の中に遺体があって、小屋の中で泊る気になれないのだという。真っ暗で疲れ切った状態だったので、勘弁してほしいと思った。先着の方が小屋の中に遺体があることを警察に通報していたが、それよりも前に警察に通報済みだったようである。仕方がないので、遺体がある小屋の外で星空を見上げながらシュラフに包まってビバークすることにした。
(中略)
翌朝、小屋の中を見ると、食べ物の包装が散らかった中に横たわった遺体があった。腐敗臭はなかったが、肌が黒褐色になっていて、人種が分からないくらいに半ミイラ化していた。
△△△△△△△△△△

10日後、この避難小屋は全面改修することになり、避難者以外は利用するなの号令が管理主体飯島町から発表された。


コメント

No title
お疲れ様でした。。。
すごい体験しましたね~。
nakajさんもニュースになるかと思いましたよ(^^;)
無事生還できて安心しました。

それにしても、中ア縦走なんてスゴイです!
2日とも絶景が見れたので、頑張って登った甲斐ありましたね。

これから先も、nakajiさんが新聞記事に載る事のない様お願いします(^^;)




No title
mokosさん

朝起きて、何も見えないと判ったときの絶望感と言ったら言葉で表せませんし、あの摺鉢窪カールから脱出できたことが信じられません。
とにかく家族の顔を思い浮かべ、「絶対生きて還ったる」とブツブツ言いながら死ぬ気で登りました。

やはり私には猿投山様レベルが合ってますわ。

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お疲れ様です
No title
本当に疲れました。

というか生きてることが不思議です。

ヤバイのは、1週間経ってあの極限の状況が恋しくなってしまったことです。

一週間経って足の痛みが取れないので、よく見てみたら、足の甲、くるぶしがパンパンに腫れてました。疲労骨折ってやつです。でも今日も猿投登ってきました。明日も登ります。
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