猿投山の達人 (猿投山登山道 完全攻略マップ)

猿投山は面白い。ほぼ毎週登っているが全く飽きない。

歴史ある信仰の山であるが、景色がいい訳ではなく (と、いうか眺望は悪い)、登山するにも高低差500m程度の山である。

何が面白いかと言えば、「至る所に道があり探検できる」ところである。

一般的な紹介は他のサイトを参照頂くとして、登山、ハイキング、トレランのための猿投山登山ルートの完全攻略マップと、ちょっとだけ深堀りした話を、公開させて頂きます。(マニアックになり過ぎた面ありますが、ご容赦を)

稚拙なブログではありますが、猿投山を愛する人を一人でも増やすことを目的としています。「へぇー、猿投山、面白そうじゃん」と思ったら、まずは登ってみましょう。

誤りありましたらご指摘を。



目次
0.猿投山完全攻略マップ
1.標高と最高点の話
2.団九郎の岩屋の話
3.屏風岩の話
4.武田道の話
5.トロミル水車の話
6.東大演習林の話
7.深見登山道の話
8.北尾根道の話
9.東の宮の灯篭の話
10.広沢城の話
11.ちゃぼの話
12.謎の2つの鳥居マークの話
13.見かけたものの話 9/12up
14.お隣の無名の山の話
15.山の神の話
16.隠れベンチの話
17.一番不思議なものの話
18.小屋跡の話
19.猿投山全貌が見えるポイントの話
20.獅子丸一平の話
21.宮標石の話
22.双子の兄ぃーちゃんの話
23.猿は投げられたのか?
24.近くの古墳の話
25.ついに判明!登山車道の名前の話
26.字名の話
27.クマオリの話
28.もうひとつの温度計の話
29.画伯達の展覧会の話
30.もうひとつのお舟石の話
31.もうひとつの鳥居の話
32.もうひとつの基準点の話
33.山頂から一番近い神社の話
34.間違ってないか?の話 9/4up
35.もうひとつの祠の話
36.ずっと探しているものの話
37.猿投山今昔物語の話
38.もうひとつの天然記念物の話
39.もうひとつの水場の話
40.猿投山の山バッチの話
41.猿投山病の人達の話
42.猿投山が登場する校歌の話
43.こんなところに猿投山の話
44.猿投山から見える山の話
45.岩の話
46.猿投山クイズ
47.こんなところに猿投山 (歴史的発見編) の話
48.ヤマレコと猪木の話
49.Google Eearth と馬場の話
50.こんなところに猿投山 (全国デビュ編) の話
51.金閣寺と古爲の話
52.ハゲは治る!の話
53.花咲き誇る猿投山の話
54.猿投山様ケルン検定の話
55.いるのか、いないのかの話
56.続・猿投山から見える山 (ライバル出現!)の話
57.猿投山から見える島の話
58.シュールなものの話
59.もうひとつの水神さんの話
60.覚えておくといい話
61.地蔵岩っぽい岩の話
62.続・猿は投げられたのか?の話
63.木に生えている色々なものの話
64.「猿」が付けばいいってもんじゃ。。。あるの話
65.スリーシスターズっぽい岩の話
66.続・「猿」が付けばいいってもんじゃ。。。あるの話
67.イケメン武士の話
68.田中さん、いらっしゃいの話
69.猿投山様あるあるの話
70.スーパー藪漕ぎ林道の話
71.夜景の話
72.まといのりすの話
73.滝の話
74.続、滝の話
75.帰ってきた滝の話
76.ぞく、まといのりすの話
77.続、双子の兄ぃーちゃんの話
78.東海自然歩道の話
79.続、東海自然歩の話 (豊田側編)
80.続々、東海自然歩の話 (瀬戸側編)
81.まだやるか!東海自然歩道の話(バッタモン編)
82.出川哲郎の話
83.ずっと数えてみたかったものの話
84.全国カエル組合の話
85.築城せよ!の話
86.ナスカの地上絵の話
87.(多分)最後の東海自然歩道の話(コンプ編)
88.猿投山近辺の秋の実りは恐ろしいの話
89.猿投山様を守る団体の話
90.こんなところに猿投山(大正の広重編)の話
91.北斎と猿投山様の話
92.こんなところに猿投山(今村橋)の話
93.もうひとつのお鞍岩の話
94.こんなところに猿投山(古地図編)の話
95.執念のクリスマスプレゼントの話
96.唯一のお地蔵さんの話
97.ずっと探していたもの (全日空機事故)の話
98.北斗の剣と猿投山の話
99.執念の誕生日プレゼントの話
100.不動明王の話

あとがき

コメント


【 0.猿投山完全攻略マップ 】

・GPSロガーを持って、登りまくった登山道の軌跡です。ご自由にダウンロードして活用頂ければ本望です。

・完全を目指していますが、まだまだです。

・「あそこの道を探検して」などの、ご依頼あれば受け賜ります。

・実線ルートは問題ないと思いますが、破線ルートは自己責任で。相当気合の入った男性でないと踏破無理な危険なルートも多々あります。

・屏風岩は「立入禁止」となっているので掲載しません。各ルートの入り方を含め、左上「メール送信」からお問い合わせ頂ければいくらでも情報提供させて頂きます。

・東大演習林区域はイリーガルなので割愛します。

・てな訳で、週末はこのマップにたった1本の線を引くが為に、猿投山を彷徨してます。

・これ以上記載できるルートは危険なため、一旦凍結します。(2015/10/10)

2015/5/5更新 rev2.0.42
sanage_rev2042




目次ヘ戻る



【 1.標高と最高点の話 】

・猿投山の標高は629mである、もうちょっと正確には628.9m、もうちょっと正確には628.92mである。35年前の国土地理院の地図では、629.0mとなっているので、8cm低くなった。。。。訳でなく、測量精度が向上したと思われる。

・一等三角点は全国に約1,000あるが、愛知県には10個のみ。

・その内の一つが猿投山にあり、その一等三角点情報は
  点名:猿投山
  住所:豊田市猿投町鷲取3番23
  基準点コード:TR15237614301
  種別等級:一等三角点
  緯度:N35度12分21.2741
  経度:E137度10分00.5644
  標高:628.92
 である。

・一等三角点は、必ずしも最高点ではない。
 富士山には二等三角点しかない。
 一番高い一等三角点は赤石岳3120m、
 一番低いのは日本最南端の沖ノ鳥島0.9m。

・猿投山山頂には、一等三角点があるが最高点でない。

・最高点には、三角点も水準点もない。
 
・最高点は国土地理院のうぉっちずを見ると632mだが、638mいう説もある。

・最高点は神域なので基本的に立ち入りは禁止である。

・最高点には、巨大な杉の切り株に岩が置いてある。

632_1

・最近、石が3つに増え、「猿投山最高点632m」の表札もあり、「俺の方が高い!」と自己主張し出した。遠目に見て、「最高点の方が高いのが判る」的に書かれている方もいるが、見る角度でも違うし、木か生い茂った猿投山では3mの差なんて見分けがつかないかと。

Saikoten

・猿投山周辺の三角点はこんな感じ。
Photo

・三又広場にある看板だが、これは間違いと思われるが、何か理由があるかもしれない。
Kanban

・国土地理院「基盤地図」を見ると、最高点は632mでなく634.2mになっている(青○)。小ピークも632.3mになっている(赤○)。山頂629mより高い場所が2点あることになるが、何故か山頂の標高が記載されていないので何とも言えない。小数点1桁まで記載されており、こちらの方が正確のような気もするが、測定方法が違うのかも知れない。
Photo

・国土地理院「標高がわかるWeb地図」で、一番高いポイントを探すと、山頂近くでは632.1m、最高点近くでは640.1mとなる。
Web

・神社駐車場の看板では、これまた違う情報が記載されている。
Kanban2

Kanban3

・本多静雄『古瀬戸』日本の陶磁 2 (1974年,保育社)とやらには、また違うことが。
2

・もう何が何だか判らないのでまとめてみる。実際、国土地理院の測量もやる度に変わるので、各々が当時の最新情報だったのであろうと理解したい。
Matome_2

・ちなみに、国土地理院「日本の山岳標高1003山」では、猿投山は753位の高さである。


(追記)
・「2014年春に改定されてますよ」と情報頂き、国土地理院サイトで確認したところ、628.98mになっている。6cmも伸びた。育ち盛りの猿投山様である。
sankaku2014


目次ヘ戻る



【 2.団九郎の岩屋の話 】

・団九郎とは、猿投山を拠点に尾張、知立、鳴海に出没した山賊「山中団九郎」のこと。

・元鳥取藩士浪人平井権八(1655-1679)が、鳴海宿に泊まった際、宿屋の主人から、この山賊の話を聞き、頼まれてもないのに、猿投山に出向き退治した。

・2人の対決話は歌川国芳の浮世絵に描かれており(右が団九郎)、大衆歌舞伎の演目にもなっている。
Dank3

・平井権八は正義の味方的にとられるが、辻切りを重ね130人を殺めた。

・平井権八の最初の人斬りは父親の犬をけなされたため

・平井権八を追って小紫という吉原の遊女が後追い心中をし、 これが江戸初の後追い心中と言われている。

・平井権八は歌舞伎や映画では白井権八になっている

・岩屋は堤防手前10mの左手を5mほど登ったところ。
Dank1
Dank2

・品川区大井山中町の由来も、「山中団九郎のアジトがあったから」ということなので、ここ猿投の信憑性もまゆつば物である。多分、「あの歌舞伎話に出て来る団九郎が棲んでいたということにしておこう」って感じなのだろう。

・林道は猿投広見線であるが「ダンクロード」と呼ばれている

・かつては車も通行できていたが、今はグランドキャニオンのように浸食されており、それはそれで趣深い。
Dank4



目次ヘ戻る



【 3.屏風岩の話 】

・猿投神社の駐車場案内板に描かれているが、これを見た人は多くない。

・駐車場案内板では「危険!立ち入り禁止」となっている。
Byobu

・標高616mにあると思っている人が多いが、それは東の宮の標高である。本家屏風岩は566mで、元祖屏風岩は593mである。

・ほとんどの人が違う岩を屏風岩と勘違いしている?

・それは案内板の記載位置が近からず遠からずだからである。

・謎とされている割には、案外あっさり行ける。

・屏風岩は、かなり大きく、3枚の岩からなる。

・足場も悪いため、全貌の写真を撮るのは難しい。
Byobu1
Byobu2

・よく見ると、非常に微妙なバランスで立っている。
Byobu3

・見れば屏風岩と言われる所以は理解できる。
Byobu4


・と、書いてみたが、これが屏風岩かは半信半疑なので、これを便宜上、本家屏風岩として、元祖屏風岩を調査。駐車場案内板記載の位置にあるが。。。
Byobu5

・左手から見ても、駐車場案内板デフォルメのような3つ山にはなりえず。。。。
Byobu6

・正面から見ると「屏風を開いたような形」になっているが、「四角に切り落とされた岩が屏風のように重なっているから」という名前の由来からは???である。
Byobu7

・上から見るとV字。3つ山にはなりようがない。大きい岩だが、本家の方がずっと大きい。
Byobu8

・本家と元祖の決着をつ付けるに際し、一番重要だと考えるポイントがある。それは、形や所在がどうこうより、「名前が付けられる石は、人々が往来する道上にあり、道標として広く認識されたもの」、言い換えれば、「人の目に触れにくいものは、余程の物でない限り命名されない」ということである。そういう意味では、東の宮直結ルートは昔、参拝の重要なルートの一つだったはずで、このルート上にある元祖が「屏風岩」と言わざるを得ないかなと。面白くない結果ではあるが、そうであろう。
私は、本家の神々しさの方が断然好きである。



目次ヘ戻る



【 4.武田道の話 】

・武田とは東の宮の宮司の名前である。

・毎日駕籠で武田屋敷から広沢川沿いに広沢天神を経て、城ヶ峯への尾根筋を辿り東の宮へ通った道である。
 →あの道で籠を担ぐ籠屋はすごいと思う。と言うか、「自分で歩いて行けよな」って感じである。

・武田屋敷の存在場所は未確認です



目次ヘ戻る



【 5.トロミル水車の話 】

・トロンメルがなまったものである

・英語で書くと「Trommel-sieb」である。

・Trommelとは、ドイツ語でドラムである。

・すらわち、ドラム型粉砕配合機のことで、土を粉砕して、粘土や陶土を作る「臼」みたいなもの

・特に猿投固有のものではない。

・1920年代に大岩・藤岡・猿投地区で急速に普及し、1,000台稼動していた。

・猿投山には150のトロミル水車が稼動していた。

・広瀬川側にも、廃止されたトロミル水車が3ケ所残る。
Photo

Photo



目次ヘ戻る



【 6.東大演習林の話 】

・東大演習林は広大で、全国7ヶ所の総面積は日本国土の0.1%である。

・瀬戸演習林は瀬戸市の面積の約8%を占める。

・演習林に入るには許可がいる。

・許可申請はメール不可で、一週間前ぐらいに提出しないとだめらしい。

・トレッキング目的の場合、「自然観察」で申請すれば可らしい。

・瀬戸演習林の長は「林長」というらしく、残念ながら林さんでなく、芝野さんという方(2010年時点)。



目次ヘ戻る



【 7.深見登山道の話 】

・北から堀割コース、橋ケ沢コース、地獄沢ルートの3つの沢ルートがある。
Fukami

・橋ケ沢以外は、進入禁止の倒木で遮られている箇所あり。

・どれも道は荒れ、夏は草ボウボウで、尋常じゃない量のヤブ蚊。

・中でも堀割は、沢自体を歩く所が多く、雨の後は行かない方がよい。



目次ヘ戻る



【 8.北尾根道の話 】

・山頂から東の宮方向に少し行った小ピークが北尾根ルート入り口である。

・入り口には丸太が横たえてあり「進入禁止」を意味する。 (最近、丸太ベンチとなった)

・早々もの凄い急坂になり、人も通らないため落ち葉が堆積しており、かなりの確率でこける。

・北尾根ルートは瀬戸-豊田境界線である。

・県道33号の瀬戸-豊田境界線の瀬戸側に数m行ったところに繋がるはず。

・が、途中で道がなくなり、非常に危険である。

・3回チャレンジしたが踏破できなかった。


 ・で、諦めきれず4回目のトライで踏破成功。やっと謎が解けた。以下、備忘録として記載しますが、推奨している訳ではありません。やめておいた方が無難です。リアル地獄沢はシャレにならないです。(2013/11/17)

・山頂側から主尾根道を進むと、崩落場があり、迂回路っぽい道を進むと「水131」の指標を最後に道が無くなる。
131


・直進すると、すぐ谷に急降下するしかなくなり、深見道地獄沢がお笑い番組かと思えるほどのリアル地獄沢に陥る。踏み跡ほぼなく、あってもすぐなくなり、随所に「無理すれば何とか。。。」というレベルではない場所多々。進むも戻るも困難。

・とにかく進むしかなく、何度もプチ滑落し、半泣きになりながら、1km程度に1時間かかり、何とか県道33号線に。出会いは、峠ベンチ200m下の、ロープで封鎖された白いガードレール橋。

・戸越峠まで登り、踏み跡を探り、痩せ尾根に乗る。

・境界線を示す標柱が数十m毎にあるので境界線を確信。ずんずん行くと、そのうち道が不明瞭なザレ岩場になる。

・踏み跡を探し、登り切ると、前述「水131」近辺に出会う。

・そう、崩落場自体が戸越峠ルートであったということが判った。迂回路がリアル地獄沢側に延びているのが混乱の原因である。 山頂から来ると「水131」で、左下手のピンクリボンを辿って急谷を下る形であるが(女性には無理かと)、その「左に曲がる」ポイントが全く不明瞭。何回行っても判らなかったはずである。とにかくリアル地獄沢には二度と足を踏み入れたくない。

2_2



目次ヘ戻る



【 9.東の宮の灯篭の話 】

・右も左も傘の同じところが破損している
Toro



目次ヘ戻る



【 10.広沢城の話 】

・高速のトンネルの上にあたるので、結構うるさい。

・城主とされる鈴木氏とは鈴木親信(ちかのぶ)のことである
Hirosawajo

・鈴木氏の祖は壇ノ浦で平家を破った熊野水軍の指導者鈴木重善である

・4代重愛は小牧・長久手の戦いで戦功をあげ、家康から鱸(すずき)姓を賜った。

 →27画もある、しかも魚の名をもらってうれしかったのだろうか?



目次ヘ戻る



【 11.ちゃぼの話 】

・トロミル水車の下の駐車場あたりで「コケコッコー」と叫ぶ。

・合計6匹を確認。

・近寄ると、羽根を拡げ、威嚇してくる
Chabo

・上記、ちゃぼはしばらくすると見なくなったが、2015年初冬猿投温泉と林道の出会いで発見。昔、チャボを買っていた鳥好きな母親曰く「チャボはもっと小さい、きっと誰かが買えなくなって捨てたんだ、ヒドイことをする」と怒っていた。
niwatori2015



目次ヘ戻る



【 12.謎の2つの鳥居マークの話 】

・地図を見ると、猿投神社、広沢神社、東の宮、西の宮の4つ以外に2つ鳥居マークがある。

・頂上にある看板には、武田道脇に鳥居マークがある。
Choujou_kanbann

・この場所を調べると、こんなものを発見。この看板は社でなく、鳥居がある所に鳥居マークを記載しているので、昔、ここに鳥居があったと想像できる。しかも遠くない昔。
Torii1

・更に数10m離れたベンチのところにも、小ぶりであるが同じものがある。
Torii

・更に調べると、もうひとつある。武田道を登ってきた右分岐側である(前二者は左分岐側)。よって鳥居は3つあったと想像できるが、不思議なことに、この穴跡は3つとも片側にしかない。
Torii4


・もうひとつの謎の鳥居は、国土地理院の地図(「完全攻略マップ」参照)を見ていて気付いた。東の宮入り口から登る途中の左に鳥居マークがあるのである。

・その場所を調べると、何かがあったと思わせる痕跡が。
Torii2

・壁面の岩壁を見ると、楔を打った跡が数箇所ある。道を作るために、単に岩を壊した跡かもしれない。
Torii3

・この地図の鳥居マークは鳥居を表すものでなく、神社を表す記号なので社があったと想像できる。

・猿投山には最大24の社が存在していたという事なので、探せば色々あるはずである。何となく、何かがあったと思われる箇所も当りが付いているので、今度ゆっくり調査したい。



目次ヘ戻る



【 13.見かけたものの話 】

・トマトかと思うほど毒々しい色のタマゴダケ。
Tamagodake


・月15で登っている元上司が山頂付近で出会ったカモシカ。ちなみにカモシカは、シカでなくヤギの仲間である。ご覧の通り、ずんぐりむっくりなので、”カモシカのような足”という比喩は完全に誤解である。
Kamoshika

元上司、2014/04/18夕刻、西尾根で動画撮影に成功。


私も2016/4/16動画撮影に成功。東の宮裏手イッシキ彫りで休んでいると斜面を駆け上がってくるのが見えたので録画開始。あっという間です。この直後親も通り過ぎました。この日は帰りの難路藪漕ぎで再度カモシカに遭遇したカモシカ祭りの日でした。


鉄塔とカモシカ。
kamoshika04

黒毛和牛(のようなカモシカ)
kamoshika03


・猿投川で子供が捕っていたサワガニ。
Kani


・血洗いの滝にもいたのでちょっかいを。



YouTube: 猿投山 広沢川 血洗いの滝で沢ガニと戯れる




・これを見つけたのは、こんな落書きをする若者など到底通るはずもない、全く知られてない道である。それ故、とてもビックリした。しかも、「サチコでなく、ユキコ。そこんとこ間違えないように」と、わざわざフリガナを付けているのも全くの謎である。
Yukiko

・誰も来ない北尾根ルートの迷うポイントとなる三分岐支柱に座ると、何故かパチンコ玉が。。。。
Pachinko

・リスとも何度か遭遇。1日2回もあり。カメラに収めるのは至難の業。コツは、秋に人気のない所で、自分がじっとしていること。

・前出の頂上の看板。確かに大阪に行けないこともないが。。。書くことの意味がどこにあろうかと。
Osaka

・前出の「幸子スキ」を全然違う場所でも発見!びっくりして、思わず声が出た。こちらはフリガナがないので「サチコ」かもしれないが、デザイン、筆跡は酷似しているので、同一犯の犯行と断定できる。これだけ想っているので、成就したのかとても気になる。。。。という訳でもない。
Yukiko2

・どうやったかは判らないが、かなり高い位置に書かれた、西ノ宮の落書き。「子供のイタズラ」を通り越した、こんな不埒な悪事を犯すカップルに幸せが訪れる訳はない。タイムスタンプが1764年なのも不思議である。
Nishinomiya

・ダブル猿の腰掛け。 1本の木で20生えている木も発見した。
Koshikake_3

・コスプレ兄ぃーさん。大須ならともかく、頂上近くで出会い、びっくりした。「仕事でムシャクシャすると、この格好で登るんです」と。鉄仮面も鎖かたびらもちゃんとしたもので、20kgあるとのこと。これでムシャクシャが解消されるのであればいくらでも。同じ戦うサラリーマンとして応援したい。
Knight

・西の宮裏手で発見した薬莢。車道より北は鳥獣保護区だが。。。
Photo

・東の宮入り口手前の急斜面に車が落とされている。犯罪の匂いがする。頼むから大好きな猿投山でこんなことをしないで欲しい。
Haisha

・某碑の裏に隠されているラミネート加工された大極図を花文字化した龍のカード。2枚ある。なんか宗教の匂いがするので詮索はしない。写真を撮ったらそっと元に戻す。

 →「関東の山でも発見した」と情報頂き、色々調査したら判明しました。やはり昭和生まれの私には到底理解不能な団体のものだったので、画像掲載は不適切と判断し、削除しました。

・3つ目の「ユキコスキ」。もう、どうでもいいので4つ目以降を見つけても掲載は割愛します。
yukiko3

・ウサギ
usagi

・人間などとても立ち入らない藪の中で発見。 賽銭箱である。 こじ開けられている。 人間のやる仕業ではない。
saisen
 →偶然この記事を見た瀬戸の窯神神社の方から「2年前に盗難に遭ったもの」と連絡を頂き、救出方法を練る。 60kgもある重いものだったが、大人4人でひぃーこら言いながらも山奥から何とか引き上げることに成功。 よかった、あるべきところに戻せることができて。
 →5/9朝日新聞朝刊に。端的に過不足なく論点がボケることなく書かれた文章で「やはりプロの文章はうまい」と感心。
asahi
 →その後中京TVから取材あり、再度山中に案内し撮影、5/16キャッチで放送。 新聞は「名前は出さないで」が通ったが、TVはそうは問屋が卸してくれなかった。 「顔は出さないで、出すなら目線入れて、声はヘリウムガス吸ったアヒル声に加工を」と言ったが、「悪いことしたんじゃないんですから出しましょう!」と若いスタッフの熱意に押され、「じゃぁ、下の名前だけは出さないで」で妥協。 もうひとつ欲を言えば、大好きな貧乏キャラ佐野アナが来てほしかった。
saisen2


・野ネズミ。 親指ぐらいの小ささ。
mouse

・GoogleのCM。 猿投山様登っても「退屈で眠い」→激辛ラーメンでテンションアップ、というコンセプトは微妙。 


・オオタカ。 この日はいるわ・いるわで合計11羽飛び回っていた。 気持ちよさそうだった。
2017090303

・メスクワガタ。 艶がないのでコクワガタらしい。
2017090304

・こけしの様なでっかいシロオニタケ。 一応有毒成分を有するらしい。
2017090302

・とってもいい映像。 ずっと見たかったドローンの空撮あり、私写ってます。





目次ヘ戻る



【 14.お隣の無名の山の話 】

・戸越峠の向こうに、628.9mの猿投山と60cmしか違わない628.3mの双子の山がある。

・地図にも載ってないその山の名は「折平山 」。「おりひらやま」でなく、「おりだいらやま」が正解らしい。別名は「擂鉢山 (すりばちやま) 」らしいが、どっちが正式名かは不明。

・「どこかで聞いたような。。。」と思われる方もいるかと。そう、東大演習林境界線の看板に記載されており、逆に名前が確認できるのは、唯一これぐらい。
Kanban

・猿投山の神様と折平山の神様が背比べをして、一旦引き分けになったが、猿投山の神様がインチキをして2尺高くし、最後には石を投げあう喧嘩になったという面白い民話がある。で、三国山麓に転がってきたその石の上に、御堂を作ったのが、石堂(せきとう)の地名の由来。
計測してみると、直線距離4.9kmなので、英智もびっくりの強肩である。しかも、驚くことに折平山山頂を寸分の狂いなく通っている。谷繁もびっくりの正確さである。恐るべし、猿投山の神様。
Ishido

・何度か行っているが、誰一人会ったことはない。

・景色もよく、稜線も歩きやすいのでお薦めである。

・伊勢湾台風(1959年)まで天狗がいた。。。。らしい。

・今でも天狗は2体いる。

・詳しくは、「山登らー 折平山」を参照。

Tengu0



目次ヘ戻る




【 15.山の神の話 】



・「山の神」という言葉を使った碑は3つある。



・広沢城跡ルートにある碑。達筆である。

Yamanokami1



・広沢西尾根ルートの三角点手前にある碑。

Nishiyamanokami


 文が刻まれており、何度も行っては凝視し、指でなぞり、撮った写真を画像解析し、判読しようとするも、部分的にしか判らない。雨上がりに撮ったこの写真が一番判読しやすかった。

  1:爾見家山神祭

  2:此ノ地・・・

  3:二拾回

  4:境内瓦東・・・・・

 爾見は「しかみ」と読むらしく、加納辺りにはそれなりにある苗字のようだ。どなたか判読できたら教えてください。

Yamanokami



→何度か行って、よーく見たら判読できました。 「爾見家山神祭 此ノ地 境内 南北二拾間 東西拾間」が正解。 この場所、よく見ると、登り道の踊り場になっており、その南北36m×東西18mは社があったようにも思える。 実は数年前、この爾見家の知人の方から連絡を頂いた。 プライベートなこともあり、あまり書けないが、爾見家は毎年盆にここまで登ってお墓参りをしているとのこと。 人骨が入った墓ではないらしい。

・北一色にある碑。数年前に設置されたようだ。達筆でないのはいいとしても、日付とイニシャルが品位を下げてしまっているのが残念。イニシャルから瀬戸が生んだ人間国宝加藤唐九郎作と思われる。間違いない。

Kitayamanokami



・その他、北一色には「山の神池」と「山の神中池」いうものがある。名前は池だがダムだそうな。後者は最近消滅したという話あり。



・もうひとつあるのを思い出した。県道33号線の脇にある碑に「山の神」の文字があったと記憶している。行けば判るが、正確な位置は、また後日。



 →思った場所に行ってみたが、勘違いだったようだ。地元の老年の方にも聞いたが、知らないとのこと。確認できたのは、馬頭観音の碑と中馬街道の碑のみ。ねむの森入り口近くのこれと混同したと思われる。これは雲興寺の性空山神の分祀で、性空山神の碑は雲興寺境内にも、その裏山にもある。これは、猿投山から外れるので、対象外したい。

Yamagami4



・もうひとつ肝心なものを忘れていた。血洗いの滝の車止めから、車道を山頂にちょっと行ったところの碑。

Yamanokami5



・ということで、猿投山の山神の碑は計4ある。他にもあれば情報ください。



(後日追記)

・「武田道入り口にもうひとつあります」と、ご指摘頂き、過去に撮った写真を探すと、確かにありました(luneacielさん、ありがとうございます)。ということで、猿投山の山神の碑は計5です。「山神巡りツアー」ご希望ありましたら、ご連絡を(笑)。

Yamagami6



(後日追記)

東登山車道の「模範展示林」標柱の脇道にも、こんなものがひっそりとあった。「山ノ神」の字は刻まれていないが、山ノ神を祭っていると想像できる。これも含め、合計6ということで。

Yamanokami6






目次ヘ戻る






【 16.隠れベンチの話 】



・有志の方々のおかげでベンチは増え続けている。陽当たり良好のベンチは、冬場は必須である。一般的に知られていない隠れベンチを紹介します。



・赤猿峠から山頂方面に5分程度行くと、気付きにくいが細い脇道がある。ここを入るとドラクエさながらの隠れベンチが広がる。陽当り良好。営林用の休憩所と思われる。

Benchi



・かえる石の北側の隠れベンチ。山頂からは三国山に阻まれ綺麗に見えない御嶽山がくっきり。恵那山も南アもよく見える。知らない人もいるので、名前をつけて、案内板を掲示すればよいのにと思う。
Ontakebenchi
Ontake_2



・山頂から赤猿方面に行くと、何本か北に下りれる道というか踏み跡があるが、鉄塔を通る道がある。その脇にある。誰も通らない道なので営林用の休憩所と思われる。朽ちているので座らないほうがいいかと。



・で、冬場にベンチで見知らぬ人と会話しての結論は。「頂上近くで、陽当りがよく、眺望がいいベンチが欲しい」ということである。






目次ヘ戻る






【 17.一番不思議なものの話 】



・これが一番不思議である。

Hhannya



・北一色林道の舗装道終点にある釜跡である。



・写真左の木の板に、般若心経が書かれているが、それはさほど不思議ではない。



・不思議なのは右に吊るされたもの。。。。動物の骨。



・林道を注視して歩くと、他にも「吊るされた骨」を発見。

Hone



・誰が、何の目的でやっているのか?おとり?魔よけ?風習?目印?どなたか知っていたらご教授を。






目次ヘ戻る






【 18.小屋跡の話 】



・見つけた小屋跡は2箇所ある。



・1つ目は、広見林道の赤猿行きケルンの右上の位置。迷い込んだ相当なヤブの中。踏み跡すらない場所に現れたため、とてもびっくりした。朽ち果てているが、ちゃんとした住居跡で、昭和初期と思われる茶碗やらナベやら生活用品が残留していた。小川沿いであるが、防砂堰など一切ない場所なので、工事関係ではないはず。とにかく抜け出したい一心で、写真を撮り忘れた。もう一回行けと言われても行きたくない場所の一つ。どういう素性の人が生活してたか考えると、ちょっと気味悪い。



・2つ目は、山頂西側から団九郎岩屋に下る道脇。民家でなく、作業小屋のように思われる。

Haikyo






目次ヘ戻る






【 19.猿投山全貌が見えるポイントの話 】



・中低山は、登っているとき、その山自体の全貌を見ることはほぼない。木が多い猿投山は、なおさらであるが、4ケ所猿投山全貌を拝めるポイントがある。



・東尾根ルートの出だしのポイント。座るのにイイ感じの石がある。

Higashi





・北尾根のポイントその1から。山頂から下ったT字分岐右にある。大好きな場所で、行くと必ず、松の枝が敷き詰められた地ベタに座り込んで休憩する。春はホーホケキョが響き渡り、まったりの極みである。これ以上に、間近で、真正面から、猿投山全体の絵を独り占めできる場所はない。

Kita1





・北尾根のポイントその2から。T字分岐左にある。あまり見たことのない角度から拝める。

Kita2





・西尾根のポイントから。

Nishi



・個人的には、迫町の杉山クリニック横からの姿と、

Sugiyama

 猿投中横のコンビニからの姿が好きである。

Sanagechu




目次ヘ戻る






【 20.獅子丸一平の話 】



・猿投山の wiki に記載されている以下について調べてみた。



 川口松太郎の小説を原作にした中村錦之助主演の映画『獅子丸一平』の舞台となっている。物語は、「天皇の落胤である主人公"獅子丸一平"が、猿投の山神から武術を授けられて活躍する」というものである。




・獅子丸一平とは、昭和29年9月18日から31年9月4日、毎日新聞夕刊で掲載されていた、1800年前後を舞台にした連載小説で、こんな挿絵とともに掲載されていた。

Photo



・その後、東映で映画化され、以下5部が公開されている。ネット検索で「続々獅子丸一平」も出るが、②の誤りのはず。



・東浦美津夫という漫画家が、「少年クラブ」1956年2月別冊付録に、読み切り64pの「獅子丸一平」を掲載している。 



・原作者川口松太郎という人も、特に猿投にはゆかりはなさそうである。ちなみに、あの川口浩隊長のお父さんとのこと。



・映画5部のあらすじは以下です。ヒマな人は読んでみてください。 「猿投山」の部分は赤字にしてあります。日付は封切日。よく見ると、翌週に封切されているのもある。



 ①獅子丸一平 (1955/10/9)

1



 天明八年、京都の大火は御所にも飛火し、帝は聖護院へ避難された。そこには大庄屋の娘茂がいた。やがて、帝と茂は逢瀬を楽しむようになったが、二人の仲は上皇に裂かれた。だか、茂はすでに帝の子を宿していたので、上皇のお咎めを恐れる両親は、茂を大阪の伯父に預けることにし、茂は九州柳河の浪人新宮寺光春に護られて大阪に向う途中、上皇の命を帯びた正親町中将の手の者に襲われた。帝の父閑院宮は主佐藩の大阪屋敷に二人をかくまうが、新宮寺が中将を斬ったので後難を恐れる士佐藩は二人を船で土佐へ逃がそうとした。ところが、船は熊野灘で難波し、新宮寺と茂は島に打ち上げられた。その後、二人は三河国猿投山に移り住むうち、茂は帝の子を生み、獅子丸と名づけた。光春と茂は改めて夫婦となり、十五年の歳月が流れた。ある日、獅子丸は深山で山神と称する白髪の老人に逢い、苦難の修業を積んで不死身の通力を得、ついで山賊にかどわされた江戸の娘千代野を救出、夫婦約束をして別れた。やがて元服した獅子丸は、名を一平と改め、千代野を迎えるため江戸へいった。ところが彼女は将軍家斎に所望されており、一平は尾州藩の牢獄に監禁の身となった。光春は帝に迫って一平を救おうと思い、京へ上るが、彼を仇と狙う正親町中将の弟、今出川公久に殺された。そのころ、虫の知らせで千代野に危険の迫ったことを覚へた一平は、豪雨をついて城を脱出し追い迫る藩士と斬り結んだ。





 ②続 獅子丸一平 (1955/10/17)

1_2



 牢を破って母のいる三河国雪城に帰った獅子丸は父の光春が北野川公久に殺されたのを知った。更に千代野恋しく江戸に出て来た一平は父の旧知仲小路金吾に会った。一平の身を案じた山神は一平の弟達を江戸に送った。弟達の願いと金吾の進めで一平は再び江戸を発った。途中、将軍の代参として久野山に向う千代野の行列に逢った一平は、久しぶりで千代野と語ることが出来た。だがすべてを運命とあきらめた千代野の心にもないつめたい言葉に二人はすげない別れをした。一方、雪城の茂は金吾から、帝が今も茂を思い、子供の一平にも逢いたがっていることを知らされ、なんとかして一平を帝のもとにやりたいと思った。一平は帝に会いたくなかったけれども、母の心根を思いやり金吾や弟達と京に向った。途中一行は上皇派の刺客に襲われ、離ればなれになって京に着いた。一平は愛宕山で不思議な武芸神に会い鍛えられた。激しい修行が続き、その満願の日ついに気を失った一平は北野川公久の娘の綾姫に救われ、看護を受けた。父の敵の娘とも知らず一平は綾姫に思慕の情を抱くようになった。金吾達は閑院宮家にいた。病床にあった閑院宮典仁親王は帝と一平を会わせようと思っていた。遂に愛宕山に一平のいることが判った。北野川一派もまた一平の居所を知り、一隊が襲ったが、一平は綾姫をかばって一隊を斬り捨てた。しかし彼は綾姫の正体を知った。一平は愛宕山を降り典仁親王に会った。帝も一平に会う為に皇居をひそかに出た。実の父に会うべきか否か、一平は「私の父は神宮寺光春」ですと叫ぶのであった。...





 ③獅子丸一平 第三部 (1956/02/11)

Photo



 上皇の命を受けて襲ってきた所司代の阿部播磨を、一平は返り討ちにして傷を負わせた。一平は伯父の天満屋徳右衛門のもとに身を潜めるが、天満屋は阿部播磨とその息子の由景によって焼かれてしまう。母の茂は雪城を出て京都へ向かう途中で一平と再会するが、一平は母と同行せず船に乗り、海の王女と呼ばれる不知火姫に会った。彼女の住む島の人間になった一平だったが、播磨の手勢に襲われ、島の住民に迷惑がかかることを恐れ九州に戻ることに。しかしそこで阿部由景の一行二十四人と果たし合いをした結果、一平は失明してしまうのだった。





 ④危し!獅子丸一平 第四部 (1956/10/9)

Photo_2



 盲目の一平を、朝廷に対する幕府の暴政を怒る九州倒幕派諸大名は、老中松平伊豆守の厳命を受けた長崎奉行与力と、阿蘇代官の手から武力にかけてもかばわんと意気込む。影響の拡大を恐れる一平は伊豆守に逢うべく警固の役人と江戸へ発つ。彼を案じる猿投山の母茂や弟達。夢に危難を知った進吾は山神から「父光春の幼馴染み、大奥の久米川に危急を告げろ」と言われ、弟達は江戸へ。狩りに出た将軍家斎を捕え、引換えに伊豆守から兄一平の身柄を受取る。伊豆守は酒井讃岐守を所司代に据え禁裏警備に狂奔。故郷雪城へ向う傷心の一平は途中、誤って断崖から転落。だが愛宕山の武芸神の力で視力を回復し、父の遺品大文字を握り、美仁親王の密命を帯びる聖護院執当覚持や弟達を伴い、帝の危難を救おうと再び京へ上る。所司代の暴力から逃れようとした帝は捕吏の剣客間瀬城介に捕われたが、一平は激闘の末救出し京の市民は狂喜。ある日、一平は江戸へ戻る途中の千代野に会うが、所詮は結ばれぬ二人の仲。聖護院にこもる一平に、酒井は雪城の母や弟達を囮に召し捕ろうと決心。そこへ戻った元所司代の子阿部由景は城介共々、一平に果し合いを申込む。教王護国寺の境内で抜き合わす一平と城介、聖護院の山門を叩く肥後の不知火姫。一方雪城に乱入する松平の軍勢……。





 ⑤獅子丸一平 完結篇 (1956/10/24)

Photo_3



 激闘数刻、獅子丸は城介を倒すが、不知火姫の叫びに由景と交えた刃を引く。姫は甲斐家再興の願いが叶い東下の途中、一平を訪れたのだが、共々江戸に下る旅すがら激しく恋し合うようになる。一方、茂母子は伊豆守の軍勢に追われ、京へ辿り着いたが、一平は居ない。江戸、甲斐家では将軍家の血筋要七郎君を当主に迎えることとなり、大奥の千代野付添の上、本国肥後へ。吉報に不知火は喜ぶが、姫に尽した八剣士が自らに憎悪を抱くと知る一平は暗然。しかも要七郎護衛の途次迎撃する八剣士の一人を斬り、不知火の夫にはなれぬと夜空を仰ぐのみ。話変って美仁親王と覚持は気分すぐれぬ帝を一平に逢わせて慰めようと計るが北野川公久は愕然。一平の身替り健介は御所への途中を襲われ死亡、一平は単身、北野川の邸に乗込み公久を斬る。追われる途中、とある寺で千代野と不知火姫が肥後へ発つ前、自らへの想い出に立ちつくす姿を見た一平は淋しくその場を去る。動転した所司代の軍勢は聖護院を包囲し、これに対抗して勤皇派九州各藩も立つが、「力と争いの中に真のやすらかさは得られぬ」という一平の言葉に、両軍は粛然と武器を下す。程なく一平は母茂や弟達と、懐かしの猿投山へと戻って行ったのである。...




・①画像の左が、猿投の山神と思われる。七人の侍をはじめ黒澤映画によくでていた高堂国典という俳優さんで、②④の「愛宕山の武芸神」もこの方なので、二役のようだ。



・わざわざ猿投山でロケをしたとは考えにくい。



・【18】記載の謎の住居跡は、一平家族のものに違いない。”獅子丸”と書かれた表札を見たような。。。。(そもそも「獅子丸と名付けた」とあるので、名字ではないが)





・同じく猿投山の wiki に



  またラジオ連続ドラマ、「新諸国物語」(川口松太郎・作)の舞台にもなっている。



 とあり調べたが、川口松太郎原作のもの、または猿投山が舞台のものは皆無。どなたか情報あればください。






目次ヘ戻る






【 21.宮標石の話 】



・猿投山には、多種多様な標石が多数ある。その中でも、「宮標石」というレアな標石がある。



・かつて、御料林という、宮内省御料局が管理していた、皇室所有の森林があり、これを示すものが宮標石。



・目印は、御料地側の面に「宮」を形取った、⑧のようなマークがあり、⑧が記された面側が御料林を表す。



・御料林は元々、国有林であったものが、1890年頃、皇室財産に転換された。この際、測量され、宮標石が設置された。



・15都道県50箇所存在し、計360万haという広大な領地であった。



・第二次世界大戦後、御料地・全国の神社を含め、皇室財産の大部分は、正式に国有財産になった。

(皇室財産自体が国有財産であるともされている)



・現在の皇室所有の主要不動産は以下。

 皇居、赤坂離宮、京都御所、桂離宮、修学院離宮、正倉院、陵墓、葉山・那須などの御用邸など




・猿投山の宮標石は2つ確認できる。



・ひとつは頂上近くの北尾根入り口小ピーク。

Miya2



・もうひとつは、北歩道コ-スと西尾根の出会いのベンチ。

Miya1



・上記2点間の全ての標石を調べたが、宮標石は上記2つのみ。



・標石を調べていると、興味を持ってか(気味悪がってか)、多くの人が声をかけてくれ、宮標石話で盛り上がれる。



・宮標石は、お隣の折平山にも複数ある。多分、東大演習林境界線上に設置されているのではと想像する。




・(後日追記)

ということで、北尾根ルートの全ての標石を調査した。予想は当っており、お宝ザクザク、4つ発見。

Miya3

Miya4

Miya5

この4つ目は笑えた。いつも休憩に座っていたのも宮標石であった。しかも、数ケ月前に置いたパチンコ玉(【13】参照)が、風雪に耐え、まだ鎮座していた。この先の戸越峠方面(山頂から分岐左)には、宮標石は一つもなかったので、分岐右(北一色方面)にあると推測される。ということで、この分岐右と、北歩道コ-スを調べねば、気が済まないが、また今度。とりあえず、猿投山の宮標石は計6個確認。

Miya6




(後日追記)

更に北歩道コースにもあるだろうと予想し調べてみると、2つ確認できた。

Miya7

Miya8

ということで、猿投山の宮標石は合計8個確認できた。「宮標石巡りツアー」ご希望ありましたら、ご連絡を(笑)。



(後日追記)

更に北歩道コースの外れでもう一個発見。これで計9個。

Miya9





目次ヘ戻る






【 22.双子の兄ぃーちゃんの話 】



・日本武尊という(実在したのか定かでない)伝説的な英雄の陰に隠れた双子の兄大碓命(ヲヲウスノミコト)の話。



・双子でなく、三つ子という説もある。



・猿投神社の主祭神であるが、それはかなり新しく、江戸時代かららしい。元々は、山神が祭紳だったとされている。



・弟は小碓(オウス)なので、家族の中の会話は混乱したはず。いかりや長介の「オーッス!」で二人とも返事したはず。



・5人兄弟、または6人兄弟(男5人、女1人)の次男。



・左利きとのこと。統計上でも、男男の一卵性双子の第一子は左利きが多いらしい。



・できる弟と、できない兄の構図は、ゴッドファーザーのアルパチーノと、兄ジョンカザールに似ている。弟が兄を手にかけるところも、三男と次男というところも同じである。



・「猿投山でヘビに噛まれて死んで、山上に葬られた」ということになっている。



・これは、大伴家持(718~785)と阿部東人によって、西暦779年に編纂されたと言われる、社蔵の縁起書に、「景行天皇52年(=西暦122年)壬戌夏五月 三河国賀茂郡猿投山 中蛇毒薨四十二歳 則葬山上矣」と書かれていることに起因する。



・明治8年、国学者猿渡容盛(1811-1884)と栃木の大名大久保忠保(1791-1848)が調査を実施し、(いかほどの科学的根拠があったかは知らないが、)教部省が西ノ宮裏の土盛りを陵墓に認定した。証拠は、前述の縁起書に始る言い伝え以外、何もないらしい。



・昭和18年、国に国幣小社への昇格願を提出するが、由緒調書が胡散臭いと、再度「神社誌」編纂の指示が出され、大湯磐雄博士が3回訪問調査をするが、「大碓命の御墓あり、守部1人駐在、山上陵の一例、もっと調べる余地あり、墓の辺りで古土器が出土されたと言われている」という程度。



・この辺りを詳しく調べた「猿投神社の綜合研究 下(太田正弘著)」というものを読んでみたいが、唯一見つけたのは国会図書館のみ。さすが、日本の全ての出版物を保有するというだけある。






・日本書紀(西暦720年完成)によると



 父(景行天皇)が蝦夷征伐を計画 

  ↓

 弟(日本武尊)は「西方は私がやったから、今度は兄ぃーちゃんの番だ」と進言する

  ↓

 父は、兄に命ずる

  ↓

 行きたくないと雲隠れする

  ↓

 探し出される

  ↓

「そんなにイヤなら、美濃に引っ込んでろ」と皇族を追い出され、豪族となる

  ↓

 美濃の開拓に尽力する





・古事記(西暦712年完成)によると



 父が兄ぃーちゃんに、「美濃に住む噂の美人姉妹を連れて来い」と命ずる

  ↓

 美濃に出向き、美人姉妹に会う

  ↓

 惚れてしまう

  ↓

 自分のかみさんにしてしまう。しかも2人とも。

  ↓

 父には違う娘を差し出す

  ↓

 ばれる

  ↓

 兄ぃーちゃんは父を避け、義務付けられている宮殿の朝夕食事会にも出なくなる

  ↓

 父は弟に、宮殿に来るよう説得を命じる

  ↓

 弟は説得を試みるが、兄ぃーちゃんは聞かない

  ↓

 父が「五日経っても一向に来ないが、説得は?」と聞くと、弟は「トイレで後ろから羽交い絞めいして、息の根を止め、手足をちぎり捨てた」と答える

  ↓

 父はそんな弟が怖くなって、単独での西方遠征を命じる

  ↓

 ・・・・



・両者に共通していることは、「猿投山で亡くなり、猿投山に葬られたという記述はない」ことである。ということで、神社格を上げるために、何の関係もなく、どこにも祭られてない、マイナーな皇族を利用した、という作為を感じてしまうが、縁起書通り、大碓命が眠っていると信じたい。



・御墓所は、東西三十四間 南北七十間 高八尺の石垣で囲まれている。「猿投村に関する口碑傳説集」に掲載されている村人近藤直吉さん(大正6年時点で77歳)へのインタビューによると、「10歳の頃から垣を造りだした」とある。計算してみると、江戸時代12代徳川家慶の頃である。

Ohusu1



・横から見た図。湾曲もなく、下も突き出ていないので、神明鳥居か、伊勢鳥居である。

Ohusu2



・裏から見た図。前述の近藤直吉さん談では、「中央部分が低く、常滑焼のような瓶の破片がたくさん出た。盗賊が朱を盗んだと言われていたが、その後、猿渡何がしという官吏来て、検分した際、鉄の棒などで突いて見ると、『瓶の様な物は、一丈余り深く掘った穴の周囲を築くために、土を中に入れて(補強のために)用いた物で、七国七色の土で築いたものである。中央の低い部分は盗まれたからではない。これが普通である』と言われたのを聞いた」とのこと。(原文からの現代口語訳です)更に調べたが、七国が何を指し、七色が何なのかは不明です。

Ohusu3



・ちなみに、弟の墓は亀山市能褒野、父の墓は奈良桜井市。



(後記)
猿投山の大碓命話と全く同じ話がある。「大碓命は、岐阜県武芸川町の八幡山で亡くなり、ここに葬られた」とある。大垣市最大の前方後円墳である昼飯の大塚古墳は、大碓命陵とされている。




目次ヘ戻る






【 23.猿は投げられたのか? 】



・「猿投」の由来については、社蔵縁起書に記載されていると言われている、この寓話が一般的である。①



 景行天皇53年天皇が伊勢国へ行幸、



 常に猿を愛し王座に侍せしむ。



  →そんなに好きになれるのか、猿という生き物を?



 猿の不祥あり。



 天皇憎みて伊勢の海に投げ給ふ。



  →海に投げ捨てられるほどの「不祥」とは、一体、何をしたというのか?愛していた猿を海に投げ捨てる景行天皇の寛容性のなさも理解に苦しむ。



 其の猿、鷲取山に入る。



  →古地図を見ると、猿投山まで海であったようだが、伊勢から100km以上あり、ここまで泳いでこれるか?しかも猿は、元来泳ぎに長けた生き物ではない。



 日本武尊東征の時、壮士三河国より来たりて従う。



  →人間に化けて、従軍したというのか?しかも、自分を捨てた人の息子のために。



 平定の後、尊に曰く、先に慈恩を蒙れる猿なり。



  →最後に「私はあの猿です」と告白したというのか?しかも、息子に言っても「捨てられたの?そんな親父との話、知らないなぁ」とか。



 勅恩に報ずる為、扈従し奉ると言い終って鷲取山に入る。



 猿投山の称、是より起こる。



  →近隣の住民に「私こと、投げられた猿が棲むから、今日から猿投山と呼ぶように」と御触れを出したというのか?勝手に住み着いたよそ者の猿にそんな権力があるのか?





・郷土歴史研究家たちの中では、「猿投」というのは、何かの音節がなまり、更に当て字という解釈がされており、由来についてはいくつか説がある。

 ②鐸(さなぎ、青銅製などの鐸)に似ているから

 ③サナ(陶器を焼く際に、高熱をつくる火床の格子)から

 ④狭い部分のナギ(薙ぎ=山の一部が崩壊)。文徳実録850年・延喜式神名帳927年には共に「狭投神社」と記載されている





・私としては、前から思っていることがある。

 北側を歩いた人は、この2つの事に気付くだろう。1つは「川堰の多さ」。いくつあるか想像もできないくらい多数ある。最初は土木事業の無駄使いか?と思ったが、そうではない。2つ目は、このようなザレ場が多いこと。ザレ場の岩は雪のようにもろい。
Zare

そう、言いたいことは「とても崩れやすい山」ということであり、崩落を防ぐための川堰が多数必要なのだろう。よって、④説を推したい。が、一番判り易く、名称として自然発生し易い②なのかなぁと。



・歴史考証学には「1秒経ったら、何ひとつ証明することは不可能」という論がある。ましてや、誰が、そう呼び出したかなんて、立証できるものではなく、由来はどうあがいても確定できないが、猿は投げられていないと思う。






目次ヘ戻る






【 24.近くの古墳の話 】



・西の宮で、とてもとても美人な古墳好きのお姉ぇーさんと知り合い、しばらくお話させて頂いた際、この古墳を思い出し紹介した。(古墳好きの真希さん27歳(←全て妄想)、25歳若返ったら是非に古墳デートしてください!)



・猿投中の西隣コンビニはす向かいに「藤山一号墳」というものがある。



・私は貴金属は要らない。埋葬して欲しいものは一つだけ。それはギター。

Kofun1



・古墳というと「こんもりした小山だけ」を想像するが石室がある。

Kofun2



・中はこんな感じ。お墓なので、入るのは、ちょっと抵抗があったが、入ってみた。気分はインディージョーンズ。

Kofun3



・中からはこんな感じ。重機がない時代に、よくこんなものを作ったものだ。いくら金と権力があったとしても、私はひっそりと葬られたい。

Kofun4



・となりのパターゴルフ場にいた年配の方に、残り3基を聞いたが、1基は12番ホールにあったが今はなし、残り2基は知らないとのこと。




目次ヘ戻る






【 25.ついに判明!登山車道の名前の話 】



・猿投神社東側→東の宮入り口→西の宮入り口→猿投七滝→広沢とつながる車道。ずっと名前が判らなかった。全ての公道には道路行政上必ず名前が付いていると信じて、調べていたが、全然手がかりはなかった。



・神社駐車場案内板には「東回り/西回り登山道」、猿投七滝案内板には「西回り自動車登山市道」と記載あるが、通称でしかない。

Shado3



・東の宮入り口近くの、誰も気付かない看板に、答えがあった。まさに偶然の発見。

Shado5



・「市道瀬戸田丸子線」とのこと。ここで疑問。①瀬戸には通じていないのに瀬戸?、②田丸子?ちびまる子ちゃんと関係があるのか?

 調べると、神社側の地名が「猿投町瀬戸田」、広沢側の地名が「猿投町丸子」であった。「瀬戸田-丸子線」ということである。もちろん、ちびまる子ちゃんとは関係なし。

Shado2



・興味のない人には、何の意味もないことであろうが、私には「パズルの大きなピースが埋まった」的、大きな前進である。




目次ヘ戻る






【 26.字名の話 】



・あたり前であるが、猿投山は山である。木しかないが、ちゃんと区画整理されており、字名がある。



・字名に関するヒントは、ところどころにある。

 ①猿投山の旧名は「鷲取山」、山頂の住所も鷲取である。

 ②東の宮の案内板には「茂吉ケ峯の地名を残し」とあり。

 ③血洗の滝の案内板には「血洗の字名を残し」とあり。

Chiarai



・字名が表示される地図エンジンで調べ、色分けしてみた。

Aza_2



・血洗いの滝があるところは、血洗ではない事が判る。東京でないのに東京を名乗るTDLと同じである。

 →(後日記)と思ったら、血洗は飛び地になっており、血洗の滝は、血洗にあることが判った。



・この「城ケ峰山頂」の表記も間違っている。峰でも峯でも、峰不二子でも不二峰子でもどっちでもいいが、「城ケ峯」という地名なので間違っていることになる。

Jogamine



・「獅々岩」という岩があるのか、「茂吉」とは誰なのか、また知りたいことが増えてしまい、困ったものだ。。。。






目次ヘ戻る






【 27.クマオリの話 】



・新しい車の名前でも、よく落ちる外国の洗剤の名前でも、ドラゴンズの助っ人外国人の名前でもない。「熊檻」である。



・猿投山では4ケ所の設置を確認。一つは水神対面の山道。

Kumaori



 あとは広沢神社から猿投神社に抜ける里山の道、武田道入り口近く、北一色林道沿い。



・これを見つけると、いつも「ある衝動」に駆られて困る。ずばり、入ってみたいのである。どのようなカラクリで閉じ込められるか知りたいのである。



・調べてみると、

 ・正式名称は「有害鳥獣捕獲器」。(しかし、動物に有害も有益もない。人間が勝手に有害と決めただけ)

 ・捕獲をメール連絡してくれるものもあり

 ・勝手に設置することは不可

 ・どこの誰が設置したものか表記要

 ・お値段はお手頃?な10万ちょっと




・山登りに「熊」話は常につきまとうが、みんな「自分は出会うことはない」とタカをくくっている部分がある。



・私は長野県阿寺渓谷で出食わした。(川マニア)参照。



・会社の先輩で熊に襲われた人がいる。友達と川に釣りに行き、数10m離れて釣りをしていた。しばらくすると、友達の叫び声が聞こえ、その方向を見ると、熊に覆いかぶさられ、既に血だらけになり、絶叫する友達の姿が。やばい、一大事!と、大きな石を手に、救助に向かい、殴打反撃するも、熊は怯まず、先輩も攻撃を受け血だらけ。川原に停めていた車を思い出し、攻撃の手が友達に移った隙に、車にダッシュで戻りエンジンをかけ、熊に覆いかぶさられている友達を轢かないように、何度も車ごと体当たりして、ようやく熊を退散。そのまま二人は三ヶ月入院。新聞記事になったらしい。想像しただけで、身震いする話である。



・三国山~猿投山辺りでも、1年に一回ぐらい捕獲・目撃話が出る。



・映画「剱岳」の伝説の山先案内人宇治長次郎さんも、「山で一番恐かったこと」のひとつに、「仙人山に三角点標石を背負い、頂上に達したとき、突然熊と出合い、『もう駄目だ』」と思った」と語っている。






目次ヘ戻る






【 28.もうひとつの温度計の話 】



・たかだか600m程度の山とはいえ、山頂は寒い。真夏は涼しいが、4月の晴れた日に登っても0℃の日もある。



・猿投山に設置されている温度計は4つ確認。



・まず、頂上に3つある。登山記録板に2つあるのはお気付きだろうが、もうひとつある。探してみてください。(私が知らなかっただけかも)



・頂上の3つ以外にもうひとつある。答えはここ。

Ondokei






目次ヘ戻る






【 29.画伯達の展覧会の話 】



・東海自然歩道の眺望がいいポイントには、スケッチ画が掲示されている。



・描いたのは東海自然歩道パトロール員のフセさんという方。



・カエル岩近くの御嶽山の図。御嶽山は火山の中では富士山に次いで2番目の高さ。三国山に遮られるのもあり、猿投山から御嶽が見えるポイントは多くないが、5箇所くらいある。

Ontake



・同所の南アの図。ここからの聖の見え具合を、空気の澄み具合のバロメータにしている。過去一度、これ以上なくハッキリ見え、それを超えるものを見たさに登っているところもある。

Nana



・頂上の伊吹山の図。日最大降雪量記録230cm、積雪量11.83mはともに日本記録だけでなく世界記録にもなっている。伊吹おろしが通るルートと、校歌に「伊吹おろし」が入っている学校の所在地は合っていると情報番組でやっていた。

Ibuki



・頂上の御嶽の図。頂上から、もっとよく見えると言う事ないのだが。
Skettchontake

・西尾根ルートの中アの図。ポイントは右上のオオタカ3羽。オオタカは近年増加し、絶滅危惧種レッドデータから外れた。北ア、南アは国立公園であるが、中アは国定公園ですらない。

Chua



・西尾根ルートの神島の図。三島由紀夫の「潮騒」の舞台となった、鳥羽市の周囲4km弱の島。文字通り神様の島だが、流刑地にもなっていたらしい。直線距離は90kmでなく75.5kmが正解。(すいませんケチつけるようで)

Kami



・ついでに登り口の壁画。描かれた生き物は、ウサギ、リス、鳥、鹿、蝶、蟹、(Beware of →)ハチ、クマ、ヘビ、イノシシに、なぜかクワガタ。落書きに類するため、否定的な意見が多いが、私的には「猿投山愛」を感じるので好きである。経年劣化していくのが悲しい。下請け泣かせて「営業利益2兆円」と威張っている金満T市なので、高松塚古墳なみに保護して欲しい。

Welcome



・ついでに神社駐車場近くの看板。プロの作品とは思えない。「オーバーオールを着たO脚のクマ」は地球上にそうそういない。

E1



・地元の小学校の図工の授業に相乗りして、描かせたと思われる防火ポスター。動物達のデフォルメの度合いも、表情もとてもよい。センスを感じる。

E2



・これまたすごいセンスである。ライオンキングっぽい。素人仕事の域を超えている。拍手。よく見ると、林野庁募集ポスターの消防長官賞の作品とのこと。

E3



・新作である。絶体絶命のうさぎ?りす?きつね?の物悲しさはアカデミー賞ものである。

poster



(後記)
頂上・赤猿のプレートや、フセ画伯の作品がことごとくなくなった。最初は突風で飛ばされたと思っていたが、気に食わないと思った誰かが撤去したのであろう。わざわざ、しかも根こそぎ。「絵は邪魔だ」的なブログも読んだ記憶があるが、初見の方には非常に有効であると思う。温厚なフセさんは感情を表に出さなかったが、描いた理由を含め絵への想いや、「返して」でなく「戻してください」という気持ちだと語ってくれた。撤去した人の意見も聞いてみたいが。。。。こういうことをするような人とは話しても判り得ないであろう。
猿投山様への恩返しの意味で何かできないかと思い、これまで撮影した膨大な写真を確認すると、フセ画伯の作品は全部揃っていた。近日中に再設置しておきます。何度撤去されても何度でも再設置します。
→2016/3/5設置澄み





目次ヘ戻る






【 30.もうひとつのお舟石の話 】



・自然探索路の御船石。神様が乗ってきた舟が石になったとのこと。「おふね」ではなく「おふないし」が正解らしい。2つの石の間に竹があったらしいが、誰やらが汚して、枯れたという昔話もあり。コッペパンを思い出す形である。

Ofunaa

Ofunab



・あまり知られていないが、この2体の他に、もうひとつお舟石がある。場所はここ(右下)。その名も御船(みふね)町。

Ofune



・判りにくい場所だが、こういう看板がある。

Ofune2



・ちょっと歩くと、ひっそりと佇んでいる。戦艦っぽい。

Ofune3



・説明書き。前半の文意は理解に苦しむ。洪水で流れてきたような話も聞いた記憶があるが、流れてきたという意味ではなく「乗ってきた」ということだろうか。帰りは歩いて帰ったのだろうか。

Ofune4



・しめ縄化粧もされており、大切にされているのが判る。しかし「お舟右」にしか読めない。

Ofune5



・ここに来た目的はもうひとつある。横手の階段を上がると廃線名鉄三河線。しばらく歩くと、鉄橋の行き止まりになる。イケない事とは判っているが、危険好きの血を抑えられず、横のすき間道から橋に乗る。BGMはもちろん、Ben・E・KingのStand By Me。電車が来ないのは判っているがドキドキする。

Ofune8



・結構高く、枕木のすき間から川が見える。橋の真ん中に座り、足を投げ出し、空中遊泳。よい子のみなさんはマネしないように。(と、私が言っても説得力ゼロ)

Ofune10



(後記)
「猿投神社近世史料」を読むと、以下の記載がある。
・しめ縄は、昭和初期まで毎年9月に猿投の神官白鳳氏が張っていた。
・前述「竹」の話は、御船町のお舟石に「もとは毎年御棹竹という二本の竹が傍に生えたが、ある年女の人が不浄物をかけたため、それからは生えなくなった」とあり、猿投山の御舟石にも「この両石の間に、もと一本の竹があって御棹竹といっていたが、ある人が汚したため枯れたとされる」」とある。

「猿投村に関する口碑伝説集」を読むと、以下の記載がある。
・2000年前、大碓命が敗北して猿投山に来るとき、河川移動用に小舟を持ってきた。武運なく戦死するや、小舟を山上に持ち上げ、御稜近くに置くや、たちまち石舟になった。三隻とも山上にあったが、年月が経て、その中の一隻は大字御船に流れ着いた。156年前(やたら具体的過ぎる)までは石は表面に出ていたが、土砂の沈積作用により、埋没して見えなくなった。しかし、地元の人は尊敬すること深く、岩上と思われるところを歩く人はいない。




目次ヘ戻る






【 31.もうひとつの鳥居の話 】



・猿投神社入り口の鳥居は黄色である。全国に黄色い鳥居は少なからずあるらしく、黄色の理由は五行説とやらで「最も尊い色」から来ているらしい。今度神主さんに聞いてみようと思う。

話題にしたいのは色のことでなく、「この黄色い鳥居は三之鳥居である」ということである。

Tori0



・現在の一之鳥居は、猿投神社の前の県道349を南下し、しばらく行ったゴルフ場対面にある。何故こんな人目につかない場所にあるのか理解できない。(写真は南側から神社方面)

Tori1



・厳かに、威風堂々と建っている。

Tori2



・大きな柱跡もある。この鳥居を建立する前の鳥居のものと想像できる。

Tori4



・ここからややこしい話である。一之鳥居は、案内板記載の通り(東)梅坪にあったとも、三好池と豊田駅の中間辺りの宮口という場所にあったともされる。東梅坪は遙拝所であったとの話もあり、東梅坪に住む同僚に鳥居跡や遙拝所について聞いたが類推できるものすら知らないとのこと。二之鳥居は、亀首の南西にあったともされる。亀は神を意味するらしい。

Tori3



・宮口神社。宮口の宮は猿投神社を意味する。多分、この辺りに一の鳥居があったと想像する。入り口の神馬(しんめ)が猿投神社のものと全く同じなのはビックリしたが(製造元が同じだけか?)、一之鳥居の痕跡はなし。

Miyaguchi1

Miyaguchi2_2



・各々の場所はココ。

Tori9



・どなたか、昔の一之鳥居、二之鳥居の情報あればください。



(後記)
「猿投神社近世史料」を読むと、色々な記載がある。
・三之鳥居は、昔は下が出ている明神型であった。その後、両部鳥居として道を跨いで建立されたが、ダンプ事故で崩壊。再度道を跨いだ形で建てようとしたが許可が下りず、現在の合成樹脂の伊勢型鳥居になった。
Photo
・一之鳥居は梅坪に、舞木は二之鳥居であった。安永八年(1779年)、西の宮の本地堂である観音堂を宮造にしたとき、その木を舞木の重右衛門が購入し、現一之鳥居の位置に建立した。
・西の宮の一之鳥居というのもあり、現大畑小学校にあった。
 →メールで確認したら教頭先生から返信あり、「調査したが確認できない」とのこと。(ありがとうございました)
・東の宮の一之鳥居というのもあり、飯野にあった。
・「衣領の内に一の鳥居あり」とあり。衣とは挙母のことらしい。

(後記)
・梅坪在住のAさんから「上原町の橋付近に猿投神社の一の鳥居があったと、ひいおばぁちゃんから聞いた」とメール頂きました。(ありがとうございました)




目次ヘ戻る






【 32.もうひとつの基準点の話 】



・「もうひとつの」シリーズ第4弾。猿投界隈で知られている基準点は4つある。基準点とは、東京湾平均海面を0mとした高低測量調査点であり、三角点、水準点、電子基準点等。



・頂上の一等三角点。点名「猿投山」。10円のようなものはUcodeという位置情報が記録されているICタグ。一等三角点を上から見た一辺は18cm。地中に大部分埋まっており、重量は90kgらしい。そんなのを担いで何百m、何千mも登る作業員は凄いとしかいいようがない。

Sanageten



・広沢西尾根ルートの三等三角点。点名「猿投2」。三等の一辺は15cm。

Sanage2ten



・未だにハッキリした行き方が覚えられない三等三角点「深見」。行ったことのある人は多くないはず。

Fukamiten



・猿投トンネル南側上にある2級基準点。通り道の真ん中に設置されているので、蹴飛ばさないように。

2kijun



・この4つ以外にもうひとつ、東山路のマイナールートにある。何も記載がないのでよく判らないが、猿投トンネル北側にあたるので、南側同様の基準点と思われる。基準点は国土地理院が業者に依頼し設置されるものなので、いつ、誰が、何の目的で設置したか管理されているので調べてみたが、なぜか北側も南側も該当情報なし。

Yamajiten






目次ヘ戻る






【 33.山頂から一番近い神社の話 】



・12/24にクリスチャンとなり、一週間後の12/31に仏教徒になり、翌日には神道信徒となる我ら日本人。世界中で唯一宗教心がない不思議な民族と言われているが、神社の数は判っているだけで8万以上で、コンビニの2倍以上あるらしいから驚きである。

・各々の集落には、何かを祭った神社がある。俗人的な寺より厳かで魅力的である。猿投山を囲む各々の神社と、山頂の(直線)距離を調べてみた。

 2.6km ⑥山の神社(迫町)
 2.7km ⑦秋葉神社(迫町)
 2.8km ④藤岡神社(北一色町)
 2.9km ③八柱神社(折平町)
 3.0km ⑧磯崎神社(迫町)
 3.0km ⑨磯崎神社(深見町)
 3.1km ⑤春埜山神社(北一色町)
 3.5km ⑩猿投神社(猿投町)
 3.6km ⑬大目神社(巡間町)
 3.7km ⑪広沢神社(猿投町)
 4.3km ⑫多度神社(広久手町)
 4.6km ①大庭天神(加納町)

Jinja

・一番は西ノ入池のほとりにある山の神社。鳥居もない祠であるが、案内板に「山の神社」とある。
Yamanojinja

・二番目は西ノ入池のほとりの高台にある秋葉神社。飯野秋葉神社の分社であろう。手作り感満載の鳥居がとてもいい。
Akiba

・名前が付いているのを条件とした上で、「もっと近いのありますよ」というものがあれば情報ください。




目次ヘ戻る






【 34.間違ってないか?の話 】



・口うるさい親父の小言になるので自制したいが、「ん?」と思ったものを。

・東海自然歩道と武田道出会いの標識の「五門杉」。旧名?。ちなみに、お倉岩は「倉」でなく「鞍」に似ているためと思っているので、私は旧名の「御鞍岩」にこだわっている。
Ayamarigomon

・山頂の標識。尾根が境なので、東西で分けたこの位置から瀬戸はあり得ない。南北に表現しないとだめだと思う。そもそも、「これより瀬戸市」と記載された右手にある三角点の住所は猿投町である。
Ayamari_sancho

・山頂の案内図。雲光寺になってる。調べると鳥取に雲光寺があるので、「それのこと」と言われればそれまでである。ちなみにこの案内図の避難小屋の難の字も間違っている。
Ayamari_unkoji

・東の宮直結ルートのイッシキ彫り。イノキにしか見えない。本当に猪木がいたらそれまでである。
Ayamariinoki

・車道と広見林道の出会いの標識。下に↓があるが、血洗いの滝はこの位置でもないし、北上なので上に↑が正解と思う。
Ayamarichiarai

・西の宮入り口の案内図。緑が東海自然歩道、黄色が車道と想像できるが、猿投神社、大悲殿、お倉岩、御門杉の距離感・位置関係、菊石の離れ具合、どれを取っても、ビックリするぐらい「てきと-」で、思わず笑ってしまった。更に、御船石の船が般になっているし、猿のけもの編もかなりあやしい。「これでよし」とできた時代が懐かしい。
Tekito
と、思ったら、猿投神社の駐車場で、これの原本を発見した。上記コピー物はかなりのてきとーだが、原本がてきとーだった。そもそも現在地が違う。しかし、これを模写して、上の図になる絵心のなさも驚きである。
Annaizu

・カエル岩裏の御嶽展望ベンチで座っていると、年配ご夫婦がさらに奥に行こうとしたので「女性は無理ですよ」と声をかけたら、「東の宮に行きたいのですが、やはり間違ってますか?」と。「なぜ、ここに迷う?」と思い、自然歩道に戻って理由が判った。この標識か、紛らわしい位置に、紛らわしい角度で設置されているため、道なり右でなく直進してしまうのであろう。木に「東の宮→」と記載あれば。
Ayamaribench

・七滝のトイレの指導標。表は問題ない。裏を見ると。。。。言わずもがな「間違ってないか?」でなく「おもいっきり間違っている」。
NAGESARU01
NAGESARU02

・「城ケ峰」は誤りで「城ケ峯」が正解であることは【26.字名の話】で記載したが、それでは終わらない。 みんな「じょうがみね」と呼んでいるが、それも違っている。 豊田市遺跡マップを見ると、「しろがみね」が正解であることが判る。
→半信半疑だったので、豊田市役所に確認したら、正解は「じょうがみね」だそうで、遺跡マップは早急に訂正するとのこと。 世紀の大発見と思ったが。。。。
shirogamine





目次ヘ戻る






【 35.もうひとつの祠の話 】



・祠は、何か秘密が隠されているようで、そそるものがある。あまり自己主張せずに、ひっそりと佇んでいるのもいい。


・既出の山の神社の他にいくつかある。

・広沢西尾根ルート山の神。縦長型である。
Hokoranishi

・AKB神社。祠 in 祠型とも言える。
Hokoraakiba

・武田道入り口の祠。これぞ「祠」という感じである。
Hokoratakeda

・かえる岩の足元の祠。墓石タイプの右寄り型。
Hokorakaeru

・水神の祠。石燈籠型である。
Hokoramizugami

・ちょっと外れるが、藤山古墳の祠。神様ご在住型。
Hokorafujiyama

・そして、もうひとつ、誰も気付かないが、猿投神社駐車場のトイレの前の木陰にもある。ロゼッタストーン風封印型。
Hokorachushajo




目次ヘ戻る







【 36.ずっと探しているものの話 】



・案内看板に記載されているが、誰も気付かないものがある。

・まずは、神社駐車場案内板の「磯神社」。全く場所が判らず、東昌寺をピンポーンして聞いた。
Iso
 山中観音堂の右手の山道を登る。
Yamanaka
 しばらく歩くと荒れ果てた石階段が左手に現れ、これを登ると祠がある。「こ・こ・これ?」って感じ。
Iso2
(後記)「猿投村に関する口碑伝説集」近藤直吉さん談で、この磯神様について面白い証言がある。「少年の頃からあった。深見の由造の子で小平という子が「こんな木等何だ」と言って、鉈(なた)で打った。男根腫れて死んだ。」


・次は、七滝案内板の「男岩」。これは判り易い。
Otokoiwa_3
 実物はこれ。色々書きたいが品位が下がるのでやめておく。前述小平の腫れ物かもしれない。
Otokoiwa2


・ここからがずっと探しているもの。神社駐車場案内板の「夫婦岩」。案内板を見る限り、トイレと川堰の間にあり、2つの岩でなく、コブが2つの岩。
Meoto
 この辺り?と思う場所に、大きめの岩がゴロゴロしてるところがあるが、特徴的な岩はなく、未だ判らず。
Meoto2

・ちなみに「夫婦岩」というと、20年ほど前に朝日新聞の読者投稿写真年間1位になった写真を思い出す。岩倉に住む会社員がある伝説を耳にした。「晴れた朝、鳥羽夫婦岩の間から富士山が見え、さらにその上に日の出が被さる」。カメラなど興味なかった方らしいが、高性能カメラを購入し、雨の日も雪の日も毎日仕事前に通い、7年間かけてその伝説を写真に収めた。審査員評は「カメラ技術は高くないが、ただその熱意に脱帽」とあった。「鳥羽夫婦岩 富士山 日の出」で検索すると類似記事あります。

・最後はご存知「大崩壊地形」。ご存知と書いたが、誰も知らない。避難小屋のすぐ裏のように読み取れるが、そうではないと思う。武田道の西と思われるが、地形図を見ても、言うほどの急斜面の場所はない。想像するに、今では落ち葉堆積し、大きな「えぐれ」は確認できないような場所と思う。
Daihokai

・最後の2つ、ご存知の方あれば、ご教授願います。

目次ヘ戻る






【 37.猿投山今昔物語の話 】



・梅雨で登れない日は、近所の大学や豊田市中央図書館に出向き、猿投山、猿投神社に関する文献を読み漁る。
 ①猿投神社近世史料
 ②猿投神社の総合研究
 ③猿投村に関する口碑伝説集
 ④西加茂郡史
 ⑤猿投神社祭礼絵図
 ⑥猿投神社絵葉書
 ⑦白鳳山勝景図
 ⑧猿投村史
 ⑨猿投町誌
 ⑩愛知県史料叢刊 猿投神社之部
 ⑪豊田市史

 このブログを100年続けることができるほどの恐ろしい情報量。知らなかった事だらけである。特に瀬戸の国学者太田正弘氏著の①②については、よくここまで調べれるものだと呆れる。ほんの触りだけ紹介したい。
 
・④猿投山を含め瀬戸の山は近世まで禿山であったと言われているが、やはりハゲている。
Suisha

・⑦屏風岩の形が元祖屏風岩とも異なるような。。。。この白鳳山勝景図は20種類あり、「蝋燭松」や「夫婦杉」など、昔の猿投山のランドマークを知る事ができ非常に興味深い。
Hakuho7

・⑥西の宮。階段入り口に立派な門がある。大碓命陵の門も今と異なる。
Hagaki

・①東の宮に15社、西の宮に8社ある。分岐右の鳥居は明神型で、西ノ宮のは両部鳥居であることが判る。井戸杉以外にも井戸があるのが判る。
Higashinishi

目次ヘ戻る







【 38.もうひとつの天然記念物の話 】



・北一色から、登ったことのない荒沢ルートを選び、頂上を目指す。道はなくなり、どんどん険しくなる。何故か岩に赤ペンキマークがある。??と思いながら、人が入った形跡も薄い谷底の沢を登っていると、歪曲した大きな木と看板が目に入る。「看板?こんな誰も来ない場所に何?」と思い近づく。

katsura1


・国と市の違いはあるが、猿投山では菊石に次ぐ天然記念物。カツラという木は寒い地域にある木で、この猿投で発見されたこの1本は貴重らしい。天然記念物指定にする時の議事録(これ)も面白い。
katsura3


・さらに登ると、こんなぶっとい杉も発見。今年は、伊勢神宮式年遷宮、名古屋城復元、歌舞伎座改築が重なり、日本全国で木が枯渇し、悪徳業者が神社の大杉に目を着け、薬剤を幹に注入し「枯れてきているので購入させて」という事件が多発した。本当に人間とは恐ろしい生き物だ。「申し訳ありません」、人間を代表して謝ります。
sugi


目次ヘ戻る





【 39.もうひとつの水場の話 】



・水場は3ケ所ある。

・お鞍岩の水場。夏でもとても冷たい。夕刻になると車で来てポリタンクに給水する人もいる。
mizuba1

・山路側林道の水場。夏場は出ていることが少なく、出ていても温い。竹の中の仏頭がぶっきぃーである。
mizuba2

・もうひとつ、広沢側武田道入り口にある。

・赤猿峠→ダンクロードの途中にこんなものができ、「いよいよ4つ目の水場か?」と思ったが、水場でなく道の崩落を抑制するためのものだろう。ちょっと飲む気にはなれない。
mizuba3

・そして頂上近くにこんな看板が。知らない人も多かった私御用達のルートであったので、少々残念である。
mizuba4

・予想通り大岩のところであった。水は冷たい。難儀であった急登にも階段が設けられており、これも残念であった。(偉そうな事を書いてしまったが、作った方ご苦労様でした。頭が下がります)
mizuba5

・高山の水場でさえ、40%は大腸菌が検出されているので、心配な方は煮沸なりを。


目次ヘ戻る




【 40.猿投山の山バッチの話 】



・登山の記念として山バッチを購入する人は多い。しかし、市販の山バッチは1メーカーが作っているとも聞いており、有名な山しかない、同じデザインを使いまわしているような感じ、その山の特徴が出ていない、という不満がある。

・そんな中、山本茂富さんという画家が作成した オリジナル山バッチ を発見。デザインが秀逸で、デフォルメ具合、山容の捉え具合もすばらしく、直感的に気に入った。100mにも満たない低山のバッチもあるのも驚き。一覧を見ていくと。。。。あった。。。猿投山様がある。こんな地方の低山があるなんてびっくり。経歴を見ると浜松近郊の出身で、名古屋の大学で学ばれていたようなので納得。しかし、非売品とのこと。ダメもとでお願いメールしてみたところ、「何とか一個だけ調整できました」との朗報が届き、お譲り頂けた(感謝感激です)。絵柄的には、浄水辺りからの構図である (【19】参照)。猿投山が「新・花の百名山」ということも知った。「新・花の百名山」とは田中澄江という人の選定らしく、猿投山の花はセンボンヤリとなっているが、花に疎い私にはさっぱ。。。
badge


目次ヘ戻る





【 41.猿投山病の人達の話 】



・全国で多くの人が悩んでいる「スギ花粉症」というやつは、元々岐阜のある村のお医者さんが同類患者が多いことに気付き、その土地の風土病として発見したらしい。猿投山でも猿投山病を患った人が沢山いる。

・頂上の登頂記録板。わたしなぞは、登っても月6が関の山であるので記載はしていないが、たくさんの人が記録している。「”ほぼ毎”で登ってる人すごいなぁ。赤津から猿投への通勤路だったりして。スーツ姿で登ってたらすごいなぁ。おや、日に2回登っている日もある。すごい」と関心する。
panel08


・翌月を見ると「すげぇー、毎日2回登り出した。しかも4時って、登りだしは3時ってことかいな?ここまで来ると、登らないと身体がおかしくなるんだろうなぁ」と。
panel09


・その他、1日で、(神社→頂上→雲興寺→頂上→神社)×2+(神社→頂上→神社)=頂上5回という、東大生でも解けない方程式を体現した人の記事を読んだ。恐れ入ります。

・トレランナーに神社からのタイムを質問すると、大体40~50分。私が聞いた最短記録は31分。すごい。

・ということで、この風土病、治療薬はなく、保険も利かない。唯一効くのは「大雨」であるが、その翌日には症状が重くなるらしい。


目次ヘ戻る



【 42.猿投山が登場する校歌の話 】



・各学校には校歌がある。校歌は抒情詩<叙事詩の方程式があり、必然的に、近隣の山やら川やらが登場する。猿投山様が登場する校歌を調べて見た。

 豊田市.豊田南高等学校  空遠き猿投の山よ
 豊田市.寺部小学校    猿投山 紫色に 霞むなり
 豊田市.豊田東高等学校  猿投山 嶺蒼く
 豊田市.豊田西高等学校  青雲なびく猿投山
 豊田市.衣台高等学校   麗しの猿投の山よ
 豊田市.平和小学校    たかくそびえる猿投の山が
 豊田市.東保見小学校   猿投山 南麓に
 豊田市.挙母小学校    北にそびゆる猿投山
 知立市.知立小学校    猿投の峯が 呼ぶ朝は
 瀬戸市.瀬戸西高等学校  陽はさし昇る 猿投山
 瀬戸市.東明小学校    仰げ山脈 猿投山
 瀬戸市.八幡小学校    猿投の山に 陽が登る
 瀬戸市.幡山西小学校   東さなげの山蒼く
 瀬戸市.瀬戸高等学校   竜泉寺猿投山
 瀬戸市.幡山中学校    猿投の山に 雲高く
 瀬戸市.祖東中学校    猿投山から雲分け昇る
 尾張旭市.白鳳小学校   猿投のみねは はるかなり
 尾張旭市.三郷小学校   猿投の山よ 矢田川よ
 長久手市.東小学校    朝日輝く猿投山
 みよし市.黒笹小学校   猿投を遥か 眺める空に
 春日井市.勝川小学校   さなげの山に 昇る陽の
 守山区.森孝中学校    明け放る 猿投の尾根は
 名東区.藤森中学校    ゆくて遥けき猿投山
 熱田区.沢上中学校    猿投を遠く見はろかす

 不思議なのは、かなり遠い熱田区.沢上中学校。並んで鈴鹿の山も登場しているので東西の山を採用したのであろう。
 その他、瀬戸窯業高校の校歌にも登場するらしいが確認できず。
 また、瀬戸少年院院歌にも「東に高く猿投山」と歌われているらしい(周りで卒業生おらず、詳細不明)。

(後記)瀬戸の全小中高学校にメールして確認しました。

目次ヘ戻る



【 43.こんなところに猿投山の話 】



・山頂に眺望図がある山は多い。他の山に登ったとき、眺望図に「猿投山」があるとうれしくなってしまう。

・中津川の向こうの小秀山の眺望図にあった。カシミールで作ったCGと思われる。
fromkohide

・最近、猿投山様山頂にも眺望図が設置されたが、七倉山は間違っていると思う。白山の手前でなく向こう側であるし、方角的にも高さ的にも白山に隠れて見えないはずである。

・このシリーズ、是非に拡張していきたいので、情報あればください。

(追記)
・福井の100名山荒島岳の頂上でも発見。見つけた瞬間思わず声が出たが、このうれしさを分かち合える人など皆無の場所なので、独り悦に入る。ちなみに、光り輝いているのは偶然。
from荒島




目次ヘ戻る



【 44.猿投山から見える山の話 】



山登らーとして何よりもカッコ悪いのは、知ったような口振りで山の名前を間違えていることである。
確かに、
・巨大な表札がかかっている訳でない
・見る角度・方角によって山容は大きく異なる
・遠近感もあり、高く見えるものが高いとも言えない
というところがあり、富士山や槍のような特徴的な山でない限り、判りにくいものである。

で、猿投山から見える山々を解析してみた。判らないところは、何度も撮影場所に立ち、電子コンパスと地形図で角度を測り、色々なサイトの写真、説明を融合し、かなりの時間を費やし判断してみたが、やはり難しい。モヤモヤ感満載なので、もっと分析が必要と思っている。

・まずは、カエル石裏の展望ベンチからの南アは全問正解のはず。
yama1


・その左の恵那山方面。大川入山は三角錐型であるこれと思うが、一番手前にも見えることは矛盾もあり、自信はない。周辺には、恵那山に近い側から、焼山(1709)、阿岳(1501)、鯉子山(1590)、大川入山、長者岳(1574m)、蛇峠山(1664m)があるがよく判らず。
yama2


・その左の中ア方面。これは全問正解のはず。
yama3


・そして御嶽。これは間違いようがない。
yama4

・頂上から北の眺望は、東側に比べ、見える確率はかなり下がる。真正面に白山が見えるが、真北より左20度の角度。猿投山から見ると、白山との直線上に大日ケ岳があるので、手前の山と断定。右手は鷲ケ岳としたが、その右の白い山に該当する山がないので、こっちかもしれない。
→白山釈迦岳としていた左手の山は、手前にあることが判明し別山と確定。
yama52


・その左手は、平家岳越しの荒島岳のはず。角度的にはドンピシャであるが自信なし。
→その後の調査結果、平家岳確定。
→冬のある日、雪を被っていない平家岳の左肩に雪山が見えるのを発見。「そういうことか!見えていたんだ荒島岳!」ということで確定。
yama62

・その左は能郷白山。左44度。
yama72

・そして伊吹山。
cairn01

・もう一度、右から近い山を見る。岩巣山と東海自然歩道上の499mピーク。
yama21

・愛岐三山もしくは春日井三山。猿投山頂上からは、3つの頂きはほぼ一直線なので、これがこれと言えない。その右手は多治見の高社山と思われる。
yama22

・犬山の尾張三山。白山は、本宮山の手前で、これと重なるので識別できず。
 ついでにご当地富士山を調べてみた。日本全国に209あり。北海道の最多19を筆頭に、これがない都道府県はない。日本だけでなく、海外にも33ある。旧統治領だけでなく、アメリカやチリ、メキシコ、ニュージーランドにもある。
yama30

・頂上から見える山々の位置関係はこんな感じ。
yama81

・大岩展望台から南側。合併前豊田市の最高峰炮烙山と六所山。
20150222_01


・東の設楽山地。何度も大岩に立ち、炮烙山と六所山を基準に地図とタブレットで角度を測定するが、どうにも自分のイメージと合致しない。三ツ瀬明神の左にあるはずの、平山明神(944m)と大鈴山(1011m)がよく判からず混乱したが、考えた結果、見えているのは、それより高い、猿投起点で平山明神と一直線上にある、新豊田市最高峰寧比曽岳(1120m)と納得した。その左もモヤモヤ感満載で全く自信なし。今まで撮った膨大な写真から遠近感や輪郭が識別できる雪山写真を探したがないので来冬までお預け。
20150222_02


・西尾根ルートと北歩道の出会いベンチから。頂上からは見えにくい伊吹山がどっかーんと見える。
yama31


・伊吹山の左。養老山脈。360度眺望で、花の百名山として人気の高い霊仙山は養老山と一直線なので見えていないと思う。何か高い塔があるなぁ、愛知エレベータの塔は場所が違うし、と調べると稲沢にあるSOLAEという三菱電機のエレベーター試験塔と判った。173mは稲沢をもじったらしい。八百津に作っていたら802mだったのだろうか。
yama351


・養老山脈と名古屋市街。名駅ビル群は240mもあるが、700m程度の養老山脈と比べると、ミニチュアに見えるのが不思議である。後に見えるのは竜ヶ岳、藤原岳、そして鈴鹿山脈最高峰でるあるが近ツーのお目に叶うことなくセブンシスターズから外れた御池岳。判らなくなったら藤原鉱山のえぐれた部分を起点にするといいかと。
cairn03


・昔、猿投神社の境内に三重塔があり、そこから御在所が見えると記録があるが、神社の西は山なので見えるはずがないと思う。それにしても濃尾平野は広大である。
cairn04


目次ヘ戻る



【 45.岩の話 】



・どの山にも名前がついた岩は必ずある。人は何故に岩に名前を付けるのか。。。それは必然性があると思う。山には信号もコンビニもない。なので特徴的な岩を見つけ名前を付け、それを目印とするしかない。バリルートで見つけた岩をご紹介。私ごときが命名するものでもなく、また1stインプレッションで付けたセンスのない私の呼び名なので、みなさん好きに呼んでやってください。

 ①(バンズ三枚重ねの)ビッグマック。東の宮入り口-西の宮入口間の車道から。
 ②(マックよりでかい)バーガーキング。北側のイリーガルルート。
 ③ガメラ。北側イリーガルルート。
 ④笑うスフィンクス。北側イリーガルルート。
 ⑤槍ヶ岳。戸越峠から登って来る時の目印。ここに辿り着くとほっとする。
 ⑥潜水艦、魚雷、もしくは似非御船石。自然観察路トラバルート。御船石よりずっとデカイ。トレポと比較すると、その大きさが分かるかと。
 ⑦戦艦、もしくは団九郎の別荘。西の宮裏の巨石群。デカイので雨宿り可。別荘2と呼んでいるものも別にある。
 ⑧モアイ。西尾根の端。見つけた瞬間「あっ、モアイだ」と思った。
iwa

・そして「エロ岩」。品位が下がるが、そうとしか呼べない。 久々行ったら、ジャストの箇所に、「南無阿弥陀仏」と書かれたジャストの形の岩が備えてあった。 この瞬間「ドエロ岩」と呼ぶことにした。 基本的には好きである、と言うか大好きである。 自然の造形美と人間のユーモアセンスのコラボという意味で。
eroiwa


目次ヘ戻る



【 46.猿投山クイズ 】



・ただ歩くだけでなく、「今日はこれを調べよう」と決めて歩くと楽しいものです。ヒマな人は、宝探しさながら、以下の答えを探しに歩いてみてください。

「猿投神社から登ればわかるさ」編。
 A1.猿投神社入り口の大橋の欄干の玉飾り。金何個、銀何個?
 A2.猿投神社入り口の碑。どこに出兵された方のもの?
 A3.駐車場のテーブルの案内板。「季節によって装いをかえる静かな森の中は、私たちが自然のしくみを理解し、心をゆたかにするための○○○です」の○○○は?
 A4.駐車場の案内看板。頂上までの合計時間は何分?
 A5.トロミル観光水車の説明板。ドラムの中に入っている種石の別名は?
 A6.観光展望台の階段。何段と書かれており、実際何段?

「東の宮に行けばわかるさ」編。
 B1.鳥居の案内看板。誰が何と何を寄進した?
 B2.鳥居左下「ハチに注意」の看板。貼ってある千社札シールは?
 B3.東の宮手前の自然観察路分岐の案内板。「観察路」でなく何と書かれている?
 B4.東の宮。朝イチで来た人にやってください、と書かれていることは?

「頂上に行けばわかるさ」編。
 C1.カエル岩の右上方の鳥箱の番号は?
 C2.頂上の案内図。誤っている地図記号は?
 C3.三角点。側面に記載されている英数は?
 C4.記録板の温度計、記載されている名前は?

「西の宮に行けばわかるさ」編。
 D1.入り口の案内看板。奉納されていたと言われるのは、誰が寄進した何?
 D2.西の宮の社中跡、石はいくつ?
 D3.宮内庁のべからず注意書き、ここで絶対できないことは?
 D4.大碓命墓。朝イチで来た人への依頼文。東の宮のと1字違う。何?
 D5.大碓命墓の裏手の鳥箱の番号は?

「赤猿峠に歩けばわかるさ」編
 E1,北歩道ルート出会いピークのベンチ。テーブルに付けられた看板の赤字4文字は?
 E2.赤猿峠ベンチ。環境美化協力を訴えている○○のある動物は?

「広沢に行けばわかるさ」編。
 F1.広沢神社案内板。祭神は何と書かれている?
 F2.広沢神社入り口の手作り感満載の灯篭。火袋側面の穴の数、左いくつ、右いくつ?
 F3.球状花崗岩。指定天然記念物に指定されたのはいつ?
 F4.菊石にある標石。刻まれている3文字は?
 F5.東海環状自動車道2級基準点。記載されている数字4桁は?

「行っても判らないさ」編。
 X1.昔そこにあったものから命名されていた広沢大滝の旧名は?
 X2.東の宮の別名は?
 X3.西の宮の別名は?
 X4.猿投神社、東の宮、西の宮の祭神は、各々何?
 X5.お舟石の別名は?
 X6.B1の後者の品はいくつ?
 X7.D1の品はどうなった?

目次ヘ戻る



【 47.こんなところに猿投山 (歴史的発見編) の話 】



・ここのところ、永田町近辺でホテル暮らし。時間があったので、地図好きとして前から見たかった伊能大図を見に国立国会図書館へ赴く。

・伊能大図とは、日本が初めてその姿を具現化した全214枚の地図であり、全てを広げるとテニスコート位の大きさになる。かつては門外不出の国家機密であった。

・皇居火災、関東震災などで原本消滅し、複製でも60枚しか現存していなかったが、2001年米国議会図書館で207枚が発見され、全214枚コンプした。

・国会図書館では、地図のフロアがあり、原寸大の複製も、定価39万もする「伊能大図総覧」も見放題。(伊能大図総覧は、安城中央図書館にもあるらしい)

・(お目当ての尾張・三河地方を見る)すごい精巧。
 (日進市辺りを見る)忠敬この辺りも来たんだ。
 (もっと東に目をやる)おぉー。。おぉー。。ある。。猿投山様。猿投神社まで測量されてる。忠敬登ったのかなぁ。。。。世紀の大発見。

・伊能忠敬は50歳を超えてから測量学を学び、56歳から17年かけて10回の測量事業を行ったが、国防の観点から沿岸が中心であり、以外は主要道のみである。飯田街道(R153)に沿えば、猿投神社には来ないはずだが、なぜか猿投神社まで測量されおり、よく見ると三重の塔も記載されている。

・歴史的資料に猿投山様。。。。この高揚を抑えれないが、国会図書館は撮影禁止。コピーも待ち行列で、時間なく退散。しかし、何としても「猿投山の達人」で紹介したい。

・日本のサイトを探しまくったが、猿投山が確認できるNo115尾張三河図なし。最終的には、米国議会図書館のサイトで公開されていたのを探し当てた。

・それでは、歴史的資料で見つけた猿投山様は、"ここ"。

ino


目次ヘ戻る



【 48.ヤマレコと猪木の話 】



・ご存じヤマレコ。ヤマレコとは、富士通研究所に勤めていた的場一峰さん(matoyan)が属していた山岳会のために、独力で2005年に立ち上げた登山コミュニティサイト。現在は富士通を退職され、株式会社ヤマレコ(長野県松本市)を設立。現時点での登録会員数172,532人。MashUp型であり、随時機能が追加されている。

・猿投山の人気を計るため記事数を見ると、東海地方では1位の伊豆.万三郎岳、赤石岳、聖岳に次ぐ4位 (冬になれば聖は抜いて銅メダル獲得のはず)。 全国で見ると159位(1位は高尾山と思いきや丹沢.塔ノ岳)。

・あまり知られていないが「みんなのあしあとを表示する」という機能がある。猿投山様をみると、みなさん色々なところを歩かれているのが判る。道というのは不思議である。誰が、いつ、その一歩を踏み出したのか。。。不思議である。
yamareco

・猿投山を探検、藪漕ぎをしている時、不安になることがある。そんな時、頭に浮かぶ一つの句がある。

 この道を行けばどうなるものか 
 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 
 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 
 迷わず行けよ 行けばわかるさ

 アントニオ猪木が引退セレモニーで読んだ句である。
 ちなみに、この句、猪木は2つ間違っている。
 ひとつは、一休和尚の句と自伝に書いてあるが違う。作者は、碧南市出身の宗教人清沢哲夫である。
 もうひとつは、原文と所々違っていることである。原作の最後は「行けばわかるよ」であるが、「よ」では、猪木らしくなくなる。

目次ヘ戻る



【 49.Google Eearth と馬場の話 】



・山は基本、見上げるものであり、飛行機に乗った時ぐらいしか見下ろすことはできない。猿投山様は、近辺に高い山はなく、ドローンとやらを使わないと見下ろすことはできない。

・しかし、きょうび google mapの進化形、google earth というもので見下ろすことができる。

・まずは、西→東の構図。画面真ん中辺りが猿投山様。
kusatsu01

・もっと寄ってみる。
kusatsu02

・3つのピークの左側が頂上。
kusatsu03

・今度は、東→西を望む。
kusatsu05

・こうやって見ると。。。。ただの山である。
kusatsu06

・猿投山と馬場との関係は。。。。特にない。白山の近くに猿ヶ馬場山(さるがばんばやま、1875m、300名山)というのがあることを思い出したことをいいことに、無理やりこじつけた。

目次ヘ戻る



【 50.こんなところに猿投山 (全国デビュ編) の話 】



・東京ホテル暮らしも5ケ月目のある日、夜ホテルでTVを見ていたら、急に現れた。びっくりして、「録画!、録画!」とリモコンを探すも、「あっ。。。自宅じゃなかった」と気付く。それほどびっくりした。

・「なんでも鑑定団」。好きな番組である。猿投焼きは過去にも何度か登場しているが、興奮したのはお宝ではない。猿投山様の山容が映ったことである。名古屋ローカル番組ならともかく、名古屋局制作でもない全国放送である。

・では、猿投山様メジャーデビューの巻き。



・調べると猿投焼きは5/19放送にも登場している。35:15から。



・半年で2回も登場するとは売れっ子の猿投山様である。これを機に、人気に火が付き、レコード大賞受賞→全米デビュー→ワールドツアーのサクセスストーリーを歩んで欲しいものである。ワールドツアーの際には、「猿投山のウンチク語れるギタリスト」として呼んで欲しい。

目次ヘ戻る



【 51.金閣寺と古爲 の話 】



・古川爲三郎(1993没)。日本ヘラルド映画やら、洋菓子ベルヘラルドやら、中日シネラマやら、大日岳ダイナランドやら、藤岡カントリークラブやらを興業した名古屋の豪商。さすが、経済的成功者だけあって耳がデカイ。
furutame.jpg

そして猿投温泉も。 学生時代、友達が中日シネラマでバイトしていたので色々聞いていた。私が知っている情報は、以下程度

 ・千種警察署の裏に家があった。
 ・星ケ丘の土地を買い占め、地下鉄を誘致。三越も星ケ丘自動車学校も椙山大学も古川家の土地で、多額の借地料を受け取っている。
 ・万博会場周辺にも一杯土地を持っておって、リニモを誘致した。

・そんな古川爲三郎が本気で企画、着手していたのは、猿投温泉に金閣寺を建立する計画である。生前、TVでも何度も話していたらしい。現名称も「ホテル金泉閣」である。実際、数年がかりで木曽ヒノキも購入し、宮大工も3人選出し、作業に当たらせていたが、色々あって頓挫した。

・猿投山はローカルな里山であるところに魅力がある。猿投山に金閣寺。。。。何という下品な。。全く似合わない。そんなの要らん。銀閣寺ならともかく(そういう話でもないか)。どうせやるなら、徹底的に、東大寺やら浅草寺やら東京タワーやら通天閣やら首里城やら五稜郭やら自由の女神やら奈良の大仏やらスフィクスやら上野のパンダやら美空ひばりの墓やら富士山やらAKBやら五郎丸やら、何の脈絡もなく集客性のあるものを集めて欲しい。

目次ヘ戻る



【 52.ハゲは治る! の話 】



※ハゲを連発するので気分を害される方はスルー願います。

・以前から「なぜ、こんなところに東大演習林?」と思っていたが、それには理由がある。

・前にも書いたが明治後期まで猿投山一体はハゲ山であった。しかも、ただのハゲ山ではない。滋賀と岡山と並び日本三大はげ山地帯と言われていたらしく、雨が降れば、地崩れは起きるわ、沢に濁流が流れ込むわ、で被害も大きかったとのこと。
hageyama1

・明治後期に国策としての林業振興の観点から砂防法などが整備され、治水事業が進められた。

・ここで登場したのが、東大に招聘されていた森林土木のスペシャリスト、アメリゴ・ホフマン(オーストリア人)という人である。彼の工法は、「山腹面への植栽は行わず、土砂の浸食や崩壊をある程度まで自然に任せ、渓流を安定した勾配に導き、渓流と山裾を固める工法」だそうな。これの治山実験が東春日井郡瀬戸町字西茨で開始され、その後これらが土台となり猿投山様でも植林が急速に普及したとのこと。

・当時の様子は県の土木事業HPや、ここで確認できます(甲斐駒みたいでかっこいい)。

・猿投山様のハゲ具合はこんな感じ(右上の山が猿投山様)。
hageyama2

・これは猿投山様の増毛作業。
hageyama3

・猿投山のいいところは木々が生い茂り、真夏でも直射日光を浴びずに登山できるところである。普通に思っていたが、それはこういう人達の労力の上に成り立っていることを知る。

・ちなみに、以前は曇っていると登るのを躊躇していたが、最近は曇りを狙って登るようにしている。それは、霧に包まれこんな幻想的で美しい木立を見ることができるから。
hageyama4

・もうひとつちなみに、ハゲとチビは同じ漢字らしい。(=禿)

目次ヘ戻る



【 53.花咲き誇る猿投山の話 】



・ローカル低山の猿投山様。しかし、只のローカル低山ではない。先にも書いたが、何故か新・花の百名山に選出されているスーパーローカル低山なのである。花なんぞとは対極にいる身も心も汚れ切った親父であるが、やはり咲き誇る花を見るのはうれしい。見ごろは毎年変わるため、撮影日はあくまで参考に。

・まずは春。神社側駐車場の桜(4/6撮影)。あまり知られていないが結構いい感じである。
hana040601

・そして山桜の季節。大岩展望台からの山桜(4/10撮影)。カリフラワーとブロッコリーの盛り合わせみたいである。ソメイヨシノなどより遅く、長く咲く。
hana041001

・そして一番好きな山路側の山桜(4/12撮影)。山桜は山路側のほうがいい。道なき道を、汗だくで登り、ふと見ると、天の川のように桜が宙に浮いているように咲いているのを見て、見惚れた記憶がある。
hana041201

・初夏。シダの群生(6/6撮影)。赤猿を北に下る東海自然歩道上にも群生場があるが、これは、それよりずっと巨大な群生で、赤猿西側の鉄塔下るルートにある。
hana060601

・そして初冬。東昌寺の紅葉(11/22撮影)。
hana112201

・紅葉といえば東昌寺が知られているが、猿投温泉も負けてはいない。黄葉(12/6撮影)、紅葉(12/12撮影)、椿(12/12撮影)。
hana120601
hana121201
hana121202
hana121203

・一番好きなのはこれ。雲興寺の休憩所横。赤やら白やらの椿が文字通り咲き乱れるが、この白に赤が交わる椿は素晴らしい。赤に白でなく、白に赤のところがイケている。(4/9撮影)。
tsubaki01
tsubaki02

椿のじゅうたん(4/2撮影)
hana01

赤(椿)と白(タムシバ)の共演(4/2撮影)
hana02

ヤマザクラコースのメイン。例年はこんなもんじゃない(4/2撮影)
hana04

これでもかぁ!椿(4/2撮影)
hana05

大岩展望台から観光展望台方面(4/2撮影)
hana06

ぼたん?黄色いめしべ、おしべがない。ちなみに雌蕊・雄蕊という漢字らしい。草冠に心×3、初めて見た。。。(4/16撮影)
hana07

ツツジルートのミツバツツジ?(4/16撮影)
hana08

迫側スーパー藪漕ぎ林道入口のシラヤマギク?(4/16撮影)
hana09

西側登山車道入口の一番好きな藤(5/1撮影)
hana14

東尾根の銀竜草(5/21撮影)
hana10

東の宮鳥居ちょっと上のノリウツギ(6/26撮影)
hana11

神社側駐車場トイレ横のアジサイ(6/26撮影)
hana12

頂上のやまゆり(6/26撮影)
hana13

・しかし、肝心なセンボンヤリというのはよくわからず。センボンヤリというと、「角野卓造じゃねぇーよ」がオーバーラップするのは私だけか。

目次ヘ戻る



【 54.猿投山様ケルン検定の話 】



・人は何故に石を積むのか。。。それは「人は何故山に登るのか」と同じくらいの難問である。マロリーよろしく「そこに石があるから」、もしくは「石しかないから」だろうか。猿投山様のケルンを検定形式でご紹介。

・まずは初級レベル。
cairn01

・準中級。カエル岩近くにあるが、東海自然歩道上からちょっと逸れているため、誰も気付かない。
cairn03

・準中級もうひとつ。北歩道からの急登。
cairn03

・中級。北一色の林道沿い。
cairn04

・中級。東の宮裏手。
cairn10

・上級。カツラ近く。
cairn05

・これを知っていたら達人を名乗って可の師範代級。
cairn06


・北アでは、乱立したケルンを環境破壊とみなし、解体をすすめているらしい。そんなヒステリックに目くじら立てて、わざわざ壊さなくてもいいのに。。。よほどヒマなのであろう。慰霊の意味で積まれているものもあるはずで、それも山の風景とし捉えればいいのに。。。。と思ってしまう。

目次ヘ戻る



【 55.いるのか、いないのかの話 】



・登山者は常に熊との遭遇の恐怖を抱えている。抱えている故、疑心暗鬼になり、動物の気配=熊と誤認しやすくなる。

・2016/1/10カエル岩裏の御嶽展望ベンチに座っていたら、北一色への尾根道を男性が登ってきた。

 男性 「この道を下って行ったら、子熊に出会ったので急いで戻ってきました」
 私  「どの辺りですか?」
 男性 「200mぐらい下ったところです」
 私  「イノシシの見間違いでは?」
 男性 「最初、そう思いましたが、イノシシにしては大きすぎました」
 私  「カモシカじゃないですか?猿投にカモシカは生息してますよ」
 男性 「そうなんですか?」
 私  「どれくらいの距離ですか?」
 男性 「50mぐらい先です」
 私  「色は?」
 男性 「茶色っぽい色でした」
 私  「どっちに行きました?」
 男性 「下りの左手です」=演習林側

・最初は、特ダネチャンス!とホシを追いに行こうかとも思ったが、少ない情報を冷静に分析し辞めた。

 まず、「カモシカの生息」を認識されてない
  →カモシカでは?という頭で見れば、熊には見えなかったかも。

 「50mぐらい先」
  →50m先のものは、よほど目がよくなくては識別できない。 ましてや、木々の生い茂った猿投山では。。。。 50mの感覚がずれていて、実質25mであっても同じであろう。 5mで遭遇したのなら、まず見間違えはないと思うが。

 「茶色っぽい色」
  →日本に生息する熊は2種類しかない。 茶色いのはヒグマで、これは北海道にしか生息していない。 本州に生息しているのはツキノワグマで、これは真っ黒。 子熊は茶色か?と思い調べたが、子熊の方がより真っ黒。

 身なりも「経験豊かな山登らー」という感じには見えなかった。(失礼)

・しかし、「猿投山に熊はいない」と言っている訳ではない。 逆にいると思っている。(近隣から移動してくるもの含め) 公式(届け出済み)、非公式の、「らしきものを見た」情報は書ききれないほど多い。 2006年、瀬戸の公式だけでも37件あり、クマ祭り状態の2010年は猿投近辺の「遭遇した」「捕獲した」情報のみ記載すると
 10/17 北一色 道路上で会話中、竹藪から音がしたので見ると、20m程先に小熊。
 10/18 北一色 檻にクマが掛っているとの情報。現場に行ったところ、檻を壊して逃げていた。
 10/25 北一色 檻にクマ。牙が折れて手負いであること、麻酔時に暴れて檻が壊れる可能性から捕殺。
 10/26 御船町 養蜂場の蜂の巣が壊されているのを発見。足跡を確認。
 10/27 石畳町 散歩中に草むらからクマ。振り回した金属棒がクマの喉付近にあたり、ひるんだ隙に逃げ帰った。
 10/27 瀬戸市広久手町 海上の森内の林道沿いで山中にクマを発見。クマは斜面を登り逃げた。
 10/30 御船町 イノシシ檻にクマ。捕殺。
 11/09 瀬戸市片草町 イノシシ檻にクマ。捕殺。

 最後の片草の件は、動物愛護団体とモメた件である。(しかし、蚊は問答無用で殺すのに、クマは座り込みまでして抗議するのも理解できない) この2010年のクマ祭りを境に、「捕獲した」は言うに及ばず、「らしきものを見た」情報でさえ激減。

・地元民でもない私が判ったような顔をして「いる、いない」を論ずるのは失礼であり、この話題はずっと避けてきたが、前述の御嶽展望ベンチの件があり記載しました。 
 2つだけ言えることは
  ・熊○さんのあだ名が「クマさん」である確率は80%以上
  ・クマに出会って”死んだふり”をするのは絶対意味がなく、演じ切ることは不可能。
 ということぐらい。

・その他、猿投山様に生息している生き物は? 麓の住民談では、リス、タヌキ、キツネ、ハクビシン、ムササビ、イノシシは日常茶飯事だったと。 これに3頭のカモシカや、13羽?だったかのオオタカが加わる。 猿投山という名からして猿は?というと、野口五郎岳に野口五郎がいないのと同じように、猿投山に猿はいない。
→「いや、猿はいますよ。深見側で20匹ぐらい見ました」という目撃情報頂きましたので訂正させて頂きます。

・ちなみに、この記事、大好きである。こういうどうでもいいことを真面目に考え、労力をかけて記事にする感性は、このブログの本質と通じるものがあり共感できる。

目次ヘ戻る




【 56.続・猿投山から見える山 (ライバル出現!) の話 】



・猿投山様から見える百名山をまとめるついでに、二百名山やら、XX百名山もまとめていて気付いた。
 まず、まとめたものは、こんな感じ。
100meizan

・気付いたのは、「新日本百名山」に愛知県で唯一、鳳来寺山が選出されている。いい山であるが、猿投山様をさしおいての選出に、ちょっとジェラシー。。。。

・「新日本百名山」とは何者?と調べると、登山家の岩崎元郎という人が、「中高年が登り易い山」という観点で選定した山とのこと。であれば、「新日本百名山」とかいう名前でなく、もっとストレートに「おっさん、おばさん向け百名山」とかにすればいいのに。
平均標高を計算すると、百名山=2279m、新百名山=1772mなので、500mくらい低い。=登りやすいということになる。

・鳳来寺山。山に興味もない人でも、愛知県民ならみんな知っているだろう山。猿投山様と比較してみた。
houraiji

・標高は鳳来寺山の方がちょっと高い。意味不明な「猿が投げられた」に比べ、「仙人が鳳凰に乗って」はかっこいい。県の鳥、仏法僧は有名。徳川家の東照宮。愛知県唯一の混浴(昨年閉鎖)があった湯谷温泉。無料開放された道。山全体が天然記念物。

・ひいき目に見ても、猿投山様が負けている感が強い。。。。しかし、ライバル出現と言っても、急に現れた訳でもなく、比べるものでもないので (なら、こんな記事書くな!って?)、お互いよきライバルとして切磋琢磨して行って欲しいものである。負け惜しみではないが、痛み分けということで。
 しかし、私の中では、猿投山は「猿投山様」で、鳳来寺山は「鳳来寺さん」であることは揺るぎない。

目次ヘ戻る




【 57.猿投山から見える島の話 】



・猿投山様からは三河湾が見える。海上はモヤが出やすいので、神島がはっきり見える確率はあまり高くない。なので、よく見えるといまだにうれしい。

・知らない人にどれが神島かを教える時は、いつもこの一言、「和式便器を横から見た形」。すぐ判ってもらえる。

・三島由紀夫の恋愛小説「潮騒」の舞台。小説も映画も名前しか知らないので調べてみた。
  ・三島が29歳の時に書いた10作目の長編小説
  ・古代ギリシア文学「ダフニスとクロエ」をベースに書かれた。
  ・「ダフニスとクロエ」は2世紀に書かれた。(日本は卑弥呼の時代)
  ・難解な三島文学の中では異質で清楚なもの。
  ・翻訳されアメリカでもベストセラーになった
  ・小説では神島の古い呼び名「歌島」いなっている。
  ・吉永小百合、山口百恵、堀ちえみなど主演で5回映画化された。
  ・「日本で唯一パチンコ店がない島だったから」との理由で三島は神島を選んだ

・神島は周囲3.9km、面積0.76 km2程度の小さな島であるがよく判る。それは周りの島より標高が高いからである。逆に周りの島は低く、どこが島か陸かよく判らない。なのでちゃんと解析してみた。まずは、猿投山様と神島を直線で結び、神島基準で左右の位置関係を明らかにする。
shima1

・前述の左右を基準に解析を行い、左から順に記載すると
shima2

 ・伊良湖岬( 73m、田原市): 日本の灯台50選、恋人の聖地100選
 ・佐久島 ( 38m、西尾市): 愛知県最大の島。世界最長484日の漂流後、米国で救助された小栗重吉はここ出身。
 ・神島 (171m、鳥羽市 : 日本秘境100選、これまた恋人の聖地100選。これまた日本の灯台50選。
 ・野島  ( 36m、南知多町):篠島の属島
 ・篠島  ( 49m、南知多町):日本の離島中人口密度3位、日本の夕日100選、拓郎伝説のLiveの島。
 ・日間賀島( 30m、南知多町):日本の離島中人口密度1位
 ・答志島 (167m、鳥羽市) :三重県最大の島

・今回、三河湾や愛知3島について色々調べたが、知らないことだらけで勉強になった。よくよく考えると、どの島も行ったことがない。こういう時は「機会があれば行ってみたい」と書くべきだが、一生行かない気がする。


目次ヘ戻る




【 58.シュールなものの話 】



・看板は好きである。よく見ると面白いものが多い。

・まず、山路側のトイレ前の看板。
 左のお父さんは何故かスーツに革靴である。お母さんはお父さんにおにぎりをあげようとしているのか、食べようとしているのか判らない。お父さんは手を出しており、もらう気マンマンであるが、お母さんは目をつぶっているので、一旦あげようとするフリをして、「やっぱやーめーた」と自分で食べるという常套手段かもしれない。オニギリにキスをしているようにも見える。オニギリは計4つで3人家族としては不自然である。もしかしたら他人かもしれない。子供も足をピーンと延ばして無理な態勢で、よく見ると右手も足にしか見えない。男の子か女の子かも不明。んーーーシュールである。奥が深い看板である。
SUR01

・同じく山路側東海自然歩道登山口の看板。
 キャンピングカーのルーフから何かを指さしているお母さんの左手が難解である。頬杖をついているように見えるがあり得ない角度である。ということは、この手はお母さんの手でなく別の人の手ということもあり得る。お父さん、女の子に違和感ない。男の子は学生服なので中学生以上確定であるが、水筒斜め掛けは幼稚である。その右足の下には絶体絶命のモグラの姿が。グシャっとやったら、楽しいハイキングもトーンダウンであろう。前者よりシュールさには欠ける。
SUR02

・ついでに山路側から登る際、いつも通る南山大学裏手にある、最近気になっている案山子を紹介。リアル過ぎて怖い。凄いのは、ここは田んぼでも畑でもないということで、案山子がある必要はない。魂がこもった案山子ということ自体がシュールである。
SUR03
SUR04
SUR05
SUR06
SUR07

目次ヘ戻る




【 59.もうひとつの水神さんの話 】



・久々の「もうひとつの」シリーズ。 猿投山様に「山の神」の碑がいくつかあることは紹介したが、水神さんもいくつかある。

・まずは神社側メインルートの水神さん。考えると、猿投山にはここまでデカイ「山の神」の碑はなく、登山者からすると「さほど水量の多くない猿投川に水神?」と違和感を感じるかもしれないが、はげ山であった故土砂水害が多かった、トロミル水車がいくつも稼働していた、などの歴史から、水の方が生活に近かったのであろう。
mizugami01


・ちなみに神社駐車場には水道記念碑なるものもある。
mizugami02


・北一色の西の入池のお地蔵さん。何か説明があったような記憶もあるが忘れた。
mizugami03


・この右手奥にある水の神の碑。もうひとつ、北一色のどこかの池のほとりに水神さんがあったように記憶するが忘れた。
mizugami04


・これ以外に、もうひとつ水神さんがある。広沢側の車道からちょっと入るため、ほとんどの人が気付かない。達筆である。大正4年4月に設置されたようである。今から101年前の1915年で第一次世界大戦が勃発した年である。
mizugami05
mizugami06


・私は筋金入りの川マニアであり、水と人間との関わりについては人一倍考えてきた。こういう水神さんを見ると、人間の歴史は治水との闘いであり、水との共存は永遠の命題なんだなぁと感慨深いものがある。


目次ヘ戻る




【 60.覚えておくといい話 】



・登山後の温泉は格別であり、土地の温泉に入るのも登山の第二の愉しみと言える。

・猿投山麓に2つの温泉がある。猿投温泉と藤岡温泉。両方とも入ったことはない。なぜなら。。。両者1500円という価格。愛知県の日帰り温泉で1番高い。浄水の竜泉寺の湯に3回入れる。それほどの価値があるとは思えない。

・猿投温泉に入る方は、以下を覚えておくといいかと。

 ・火=女性デー、水=男性デー、木=シニア(65歳以上)デー、毎月26日は1080円。金=学生デーは750円。

 ・猿投中横のファミマのイートインコーナーにこんなのが置いてあります
waribiki

それでも私は入りませんが。。。。

目次ヘ戻る




【 61.地蔵岩っぽい岩の話 】



・御在所山に地蔵岩という奇岩がある。 絶対に落ちないということで受験生の願掛けの場所になっている。 何故こんなことになるのか。。。自然の力は偉大である。
Gozaisho3


・猿投山様にも似たような岩がある。。。。。。が辿り着くのは超困難な場所。
jizo90


目次ヘ戻る




【 62.続・猿は投げられたのか?の話 】



・猿投温泉のHPの判りにくいところ(本当に判りにくい所)に、猿投山様の説明があった。

 

▽▽▽ 以下、引用 ▽▽▽

伝説 猿投創世記?『猿投』を生んだ、ヤマトタケルの近親たち

(猿投山に隠れ住んだ一匹の猿)

 その昔、大和の国に景行天皇という帝がおりました。

 帝は、息子のヤマトタケルが西の敵、東の悪を次々と倒してくれるので、「これでわしの世も安泰じゃ」と、満足の日々を送っておりました。

 ある年の暮れのことです。

 帝は伊勢の国へ詣でようと、たくさんの家来を連れて、大和の国を出ました。

 その途中、行列の前に突然現れた者がおりました。

 いえ、それは人ではなく、猿の子供でありました。

「かわいい猿じゃ」。

 帝はどうゆうわけかその猿をたいそう気に入り、伊勢参りのお共に連れて行くことにしました。

 そうして年が明け、無事初詣でを終えて、大和の国へ帰ろうとした時のことです。

 それまでいたずらをしては「憎めぬ奴じゃ」と、帝を楽しませていた猿が、何を思ったか、帝が一番大事にしていた首飾りを、どこかへ隠してしまったのです。

 「この猿め!」。

 これには帝も笑ってすませることができず、ついにはその猿を伊勢の海に捨ててくるよう、家来に命じたのでした。

 海に投げ捨てられれしまった猿はどこをどう泳いだのか、なんとか陸にたどり着くことができました。

 命拾いをした猿は、「伊勢の神様のお情けに違いない」と感謝し、向こうの山で静かに暮らすことにしたのでした。

 それからその山は、猿投山と呼ばれるようになったのです。


(ヤマトタケルの兄を祭った猿投神社)

 猿投山にその名が付く少し前、その山に登った男がおりました。

 穏やかな陽気に誘われ、自然に足が先へ先へと向いて行ったのでした。

 山の中腹まで来た時のことです、「おお、なんと美しい鳥の泣き声よ」と、男が茂みに一歩入ったとたん、毒蛇がシュルシュルと近づき、男の足にガブリッ。

「こ奴め!」と、持っていた刀で切りつけましたが、時すでに遅く、蛇の毒によって男は命を落としてしまいました。

 その男の名はオオウスと言いました。

 オオウスは景行天皇の息子で、双子の弟、ヤマトタケルの活躍の陰に隠れた存在でもありました。

 オオウスは猿投山で死に、その後に住みついた一匹の猿。

 そういえばあの猿、どことなくオオウスの面影があったような、ないような…。

 され、時代は移り、仲哀天皇の世となりました。

 ヤマトタケルを父に持つ仲哀天皇は、クマソの乱を鎮めようと必死でありました。

 三河の地に不安を感じていた天皇は、「うーむ、どうしたものじゃのう」と深刻に考える日々が続いていたのです。

 そして、作られたのが猿投神社でした。

 天皇家ゆかりのオオウスを祭って、周囲に威光を示そうということです。

 不運な死に方をしたオオウスも、「これで役に立てたのじゃな」と、雲の上でつぶやいたのかもしれません。

 ヤマトタケルを囲む父、兄、息子の3人が足跡を残した猿投の地。

 はるか昔を想像しながら、空を見上げれば、彼ら一族の霊妙な魂が生きているかのようでもありましょう。


△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 ふむふむ、子猿だったのか。

 ふむふむ、猿がした「おいた」は「首飾りを隠した」だったのか。

 ふむふむ、「鳥の泣き声」は「鳴き声」の誤りだろう。

 ふむふむ、「され、時代は移り」は、「さて」のTの左のRの打ち間違いだろう。

 ふむふむ、奉られておいて「これで役に立てたのじゃな」というのは思い上がりのような。。。。

 ふむふむ、言われてみれば、ヤマトタケルは直接何も絡んでないなぁ。みんなその周辺だなぁ。

 仲哀天皇はヤマトタケルの死後36年も経ってから生まれたことになっており、架空説があるらしい。

 ちょっと脚色されてるような。

 やはり、猿は投げられていないだろう。サナゲはイザナギが変化したものだろう。


目次ヘ戻る




【 63.木に生えている色々なものの話 】



・よく見ると木には色々なものが生えている。見かけたものを。

・ずっと見守っているイリーガルルートの猿の腰掛け。最初は汗をかいた雪見大福。
ki01
ki02


・半年後はこんな感じに。小猿は座れるかも。
ki03
ki04


・最高で5個生えている木を北尾根ルートで見つけた。さすが猿投山様だけあって、猿の腰掛けはよく見かける。
ki05


・得体の知れない「まいたけ」っぽいものに覆われてる倒木。ちなみにイリーガルルートにこれのものすごい木がある。調べるとマイタケはサルノコシカケ科とのこと。
ki06


・手袋はよく生えている。(ツツジコース)
ki10


・タオルもよく生えている。(東回り車道))
ki08


・ピストルも生えている。(ヤマザクラコース)
ki07


・生物探知機も生えている。(ヤマザクラコース下)
ki09


・金の生る木を見かけたらご一報を。。。。誰もしてくれる訳ないか。


目次ヘ戻る




【 64.「猿」が付けばいいってもんじゃ。。。あるの話 】



・猿投山は「猿」という字が付いているのが特徴である。 申年である今年2016年の年始休みには「サル年なので猿がつく猿投山に来ました」と遠方から数団体来ていた。 こういう干支登山というものをしている人たちもいるようだ。(トラやネズミ年は探すのが大変だろう)

・で「猿が付けば親戚」というところで山を調べてみた。

yama311

・思いの外たくさんある。
 No15 : 1000m丁度、ピタリ賞というのも珍しい。
 No27 : 「さるばみ」と読む。各務原アルプスに。
 No33 : 「さるづら」って。。。
 No39 : 元猿であるなら、今は?
 
・よかったなぁ、こんなに親戚が一杯いて。


目次ヘ戻る




【 65.スリーシスターズっぽい岩の話 】



・有名な岩のバッタもんシリーズ第2弾。

・オーストラリアは好きで何度か行っているが、エアーズロックなんかより見たいと思った岩がある。それは、世界遺産ブルーマウンテンズにあるスリーシスターズという岩。
3sisters1

・ちょっとずつ違う伝説があるので2つほど。

 スリー・シスターズにはマイナー(Meehni)、ウィムラー(Wimlah)、ガナドゥ(Gunnedoo)という美しい3姉妹が、村の長老によって岩に変えられてしまったというアボリジニの伝説があります。3姉妹は種族の違う3兄弟に恋をしていましたが、種族の掟でその他の結婚は禁じられていました。3兄弟は3姉妹を村から無理やり連れ出そうとし、争いが起きた為、長老は3姉妹を守ろうとして岩に変えてしまったのです。長老は争いが終われば、3姉妹を元の人間の姿に戻そうと思っていましたが、みずから命を絶ってしまいました。3姉妹は元の美しい人の姿に戻ることなく、争いの名ごりとして岩のまま残されました。

 昔々、この地方には魔王が住んでいました。そしてある時、魔王は、美しい3人の姉妹を連れてくるように言いました。それを可愛そうに思った魔術師が、その場を逃れるために、3人を岩に換えて、しばらくほとぼりがさめるまで、そっとしておこうと思い、3姉妹を岩に換えました。ところがそれを魔王が知ったのです。怒った魔王は魔術師を殺してしまいました。それで3人の娘は、岩の姿から戻ることが出来なくなったのです。

・ふむふむ、「長老は3姉妹を守ろうとして」。。。。「守る」というのはその村の掟に基づくエゴじゃん。本人達は望んでいるのに。
 ふむふむ、「みずから命を絶ってしまいました」。。。。理由一切なく、唐突だなぁ。
 いいなぁ魔王。無茶苦茶だなぁ。舛添都知事並み。

・猿投山様にも私だけがスリーシスターズと呼んでいる岩がある。 西尾根メイン道からすぐ見える。
3sisters2

・猿投山のスリーシスターズにも伝説がある。

 その昔、ヲヲウスという男がサナゲヤマに登ってきた。
 男は女好きで、かつて、親父を騙して2人の美女を手に入れたほど。
 赤猿峠から山頂に向かって歩いていたとき、目の前に4人の姉妹が現れた。
 長女は峰不二子のようなフェロモン系美女
 次女は西川峰子のようなコブシがよく回る演歌シンガー
 三女は横峯さくら似のゴルファー
 四女は峰竜太似
 姉妹が言うには「私たちには男運というものがありません、どうか一人を娶ってください」と。
 ヲヲウスは「なら四女」と即答。
「なぜ女性の魅力に乏しい末っ子なのですか?」
「だって愛知県民は一度は猿投山に登らないといけない、ドラファンでなくてはならない、と条例で定められているから」
「そんな理由で。。ガビーン。。」、と3人は石になった。
 その1時間後、ヲヲウスはヘビに噛まれて即死し、四女は世界最速で未亡人になった。
 ギネス記録になっている。

 猿投神社の縁起書に記載されているので史実であろう。。。。たぶん。。。。。


目次ヘ戻る




【 66.続・「猿」が付けばいいってもんじゃ。。。あるの話 】



・山に続いて、「猿」がつく苗字と世帯数を調べてみた。 思いの外たくさんある。
saru2

・No1 : 人生で唯一会った「猿」苗字はこれのみ。
 No7 : マシコ、サネコとは変読の域である。
 No8 : 小猿はあっても大猿はいないんだ。
 No14 : サルガどうした?
 No28 : マセかぁ!やられたぁ。。。
 No34 : 海猿はいないのか。

・苗字に「猿」が付く人は、少なからずコンプレックスを持ち、鈴木とか佐藤とか普通の名前に憧れているのではと想像する。

 例えば

 「きれいな方ですねぇ、お名前は」、「小百合です」、「名前もきれいですねぇ、苗字は?」、「猿毛です・・・」、「えっ?。。。鼻毛?、腹芸?」

 授業中にお喋りしていて、「お前は名前に反してよく喋るなぁ」と、先生に頭をこつかれる「岩猿静」15歳。

 イヌ年生まれで、ネコ好きな、犬山市在住の、ヤギ座の「猿トラ」さん90歳。

 「猿ケ沢」家に嫁ぐことになった、カラオケでは「ザワワ、ザワワ」がオハコな、サルサが趣味の佐和さん25歳。


 何れも、抗えない苗字を呪うであろう。

 Anyway、2世帯しかない「猿投」家が絶えることなく、繁栄することを祈ってやまない。



目次ヘ戻る




【 67.イケメン武士の話 】



・澤田ふじ子という時代小説家がいる。  半田市生まれ、愛知県立女子大学(現・愛知県立大学)卒業後、高校教師、西陣織工等の勤めを経て、1973年作家デビュー、京都在住、とwikiにある。
sawada1

・高校教師を辞めたのは、生徒が「結婚したい」と相談に来た時に「1~2年同棲してから決めたら」とアドバイスしたことで、「同棲をすすめるとは、ふしだらでけしからん。教師として失格」と非難が集中したためとのこと。

・彼女の作品に、猿投神社の神官の娘が生んだ猿投十四郎というイケメンの剣の達人が登場する作品が2作ある。

 「やがての螢 京都市井図絵」 光文社時代小説文庫

 湯屋「梅乃湯」は、主の佐助とお葉夫婦が営む銭湯。その二階座敷で、今日も按摩の彦市は客の肩をもんでいた。そこへならず者めいた男が入ってきた。不穏な空気を察した彦市は、長屋の隣に住む猿投十四郎に声をかける。 髪を儒者髷に結い、眉目秀麗、公家侍にも思われる十四郎は、武芸の達人。普段は筆結いで生計を立てているが、その正体は精華家の流れをくむ由緒正しき血筋だった。  一方、盲目でありながら妙に勘の鋭い彦市に、十四郎は不可解な雰囲気を感じ取っており……。 京の町で暮らす人々の喜怒哀楽を、人情味溢れる筆致で描く連作集。

sawada2
sawada3


 「天皇の刺客」 徳間文庫
 内憂外患の波が押し寄せる、京の都。幕府の存続を図るため、幕閣は尊王思想を増長させる『日本書紀』を秘かに焼き尽くす計画を進めていた。 しかし、草莽の志を抱く植松頼助・猿投十四郎たち一団は、それを阻止すべく立ち上がる。 さらに、人々にその志を啓蒙するため、天皇の功績を摺り物にして頒布することに。 尊王の志士たちと幕府隠密たちとの熾烈な戦いがはじまった――。
sawada4
sawada5

・ふむふむ、白鳳寺のことまで調べ上げている。
 ふむふむ、女優の久我美子は久我家33代当主の娘らしいが「くが」である。久我家は華族解体で経済的に破綻していたが、プライドだけ高く、「女優業なんて久我家の体面を汚す」と「こが」を名乗ることを許さなかったので、「くがよしこ」としたらしい。人には歴史あり。

・映画化するなら、唐沢寿明が適役かと。 ディーンフジオカではカッコ良すぎるし、笑福亭鶴瓶ではカッコ悪過ぎる。 もっと言えば、舛添要一や海老蔵だけには演じて欲しくない。



目次ヘ戻る




【 68.田中さん、いらっしゃいの話 】



・「すみ、ちゅわーん」とマネされる「北の国から」の名脇役俳優でも、ドジャースのエースでも、角栄の娘でも、爆笑問題やアンガールズの片割れでも、我が家の隣の田中さんでもない。  グレートトラバースの田中陽希さん、猿投山様に現る。 あいにく私は八ヶ岳遠征でお茶の一杯も出せず、すいませんでした

・200名山一筆書きに続き、愛知130山か?と思いきや、これである。 この HP  FB でしか宣伝しないらしい。
 
 ふむふむ、15000円、高っ。。。。? 遠地ならともかく豊田産業文化センターから。。。超豪華山めしならともかく「昼食(主食の提供がありますので、おかず等)」ということはおにぎり程度? しかし、数時間しか接することができないディナーショーを考えれば、1日一緒にいれるこの企画、田中陽希マニアにはたまらないであろう。

 ふむふむ、多機能ナイフ持ってない人は登れないのか?

 ふむふむ、このミステリーツアーwith田中さん、定番企画のようで4/29にも開催されているようだ。

 ふむふむ、田中さん、こういう営業をやっているのね。さぞかし、面白い話が聞けるであろう。

 Anyway、山登らー全員が君のことを応援している。



目次ヘ戻る




【 69.猿投山様あるあるの話 】



・「空いてないなぁ。もうちょっと寄せて停めてよぉ。。。」@駐車場

・木の根でつまづく@頂上の豊田ー瀬戸の看板前

・左側に立った人の顔が暗い@頂上看板の記念撮影

・「また化粧濃くなったなぁ」@かえる岩

・「この山はナメとっちゃかん」@頂上のおばちゃんの会話

・「どれのこと?判からん」@団九朗の岩屋

・「今日は人一杯だなぁ」@頂上

・「やっぱ冬はここねぇ」@ひな壇ベンチ

・で一番多いのは 「今日は何も見えん、残念」@頂上


目次ヘ戻る




【 70.スーパー藪漕ぎ林道の話 】



・何年も猿投山様を藪漕ぎ探検している。登った回数でいえば私なんぞより登っている人はいくらでもいるが、歩いたルートの種類で言えば私を超える人は存在しえないと思っている。完全攻略マップに記載してないルートも多数ある。

・かなり危険なこともしてきた。野犬に襲われ猛ダッシュで逃げたこともあった。枝が目につき刺さり数分うずくまったこともあった。川に転落したこともあった。トレポを置き忘れたが「この50mを戻る気力はとてもじゃないがない」と諦めざるを得なかった強烈な難所もあった。崖をよじ登る、崖から飛び降りる、服が破れる、急斜面で木にぶら下がり九死に一生を得るなんて日常茶飯事。おかげで腕はいつも擦り傷だらけ。
yabukogi01

・やはり難易度が高く面白いのは、迫~東の宮裏手であり、「スーパー薮漕ぎ林道」と呼んでいる強烈な障害物競争的ルートがある。最初は田ノ平二号線というちゃんとした林道であるが、どんどん険しくなり、次々と障害物が現れ、最後には道はなくなり谷底からの脱出劇。踏破するのは大変であるが挑み甲斐があるルートである。
yabukogi02

・まず驚くのはソバ屋とかち。こんな山奥に客がくる理由はなく閉店ガラガラ。
yabukogi08

・リアルな「熊に注意」である。
yabukogi04

・この先から険しくなる。
yabukogi05

・イカリングのような木。これがすごいのは遥か上まで伸びていることである。
yabukogi06

・コブはアグロバクテリウムとやらが植物の染色体に入り込んでできる、木の「がん」とのこと。
yabukogi07

・全ての障害物をクリアするとイイことが。。。。特にある訳ではないし、お薦めしている訳でもない。
yabukogi99


目次ヘ戻る




【 71.夜景の話 】



・猿投山様の夜は暗いなんてもんじゃない。木が生い茂っているため月明りは届かず、ヘッデンを消すと右も左も上も下も判らない漆黒の世界。好んでナイトハイクをしている人もいるようだ。

・観光展望台からは豊田と名古屋南部の夜景が拝める。
night02

・おいでん祭りの花火を猿投山から見たくて特等席の大岩展望台へ。誰もいないと思っていたがご夫婦一組。もの好きがいるもんだ (お互い様です)。お互いの顔も判らない暗闇でしばし談笑し、「また来年会いましょう」と。
night01


目次ヘ戻る




【 72.まといのりすの話 】



・暗号でも何でもない。山路側に生息する3匹の「まといを持ったリス」である。

・「事」が旧字略体なので、多分、これが一番古いかと。クッピーラムネを思い出す。
risu2

・「火」の両耳が下がった。私の高校の国語の先生は厳しかったので、この「火」では点はもらえなかった。
risu1

・これが一番新しいはずだが、前作と書体、デザインは完全踏襲されている。
risu3


・子供の頃「まとい」の意味を親父に教えてもらった。
 その昔、火事は消火する方法がなく、周りの家を壊し延焼被害を小さくすることしかできなかった。それは時間との闘いであり、まといを持った人が目印の家に立ち、その纏持ちを焼死させるな!と消火・解体作業を鼓舞させるとても勇敢な役であると。
 りす君、防火活動ごくろうさんです。

(後記)
・空木岳登山道で発見。ヘロヘロモードだったので写真撮るの忘れた。


目次ヘ戻る




【 73.滝の話 】



・滝は魅力的である。ただ単に川の水流に落差があるだけなのに、何故か惹きつけられる。


・「滝」の定義は、「河川や湖の一部が段差になっているため、水が落下している場所」とあるだけで、落差xxm以上とかはない。よって滝と名付ければ滝なのである。


・広沢川側に猿投七滝と名付けられたものがある。
taki01


・数々の大瀑の滝つぼで泳いできた私からすると、・・・というレベルものであるが、川上から順に

 血洗いの滝  斜瀑 3m
 二ッ釜の滝  直瀑 5m
 白霧滝    斜瀑 4m
 千鳥滝    斜瀑 5m
 白菊滝    斜瀑 8m
 乙女滝    斜瀑 13m
 広沢大滝   段瀑 25m


・血洗いの滝だけ案内板がある。
taki02


・しかし、血洗いの滝は案内板設置場所より上流で、そこには看板なく、滝自体も言うほど大きくないため、みんな気付かない。
taki06


・ちなみに滝に行くと「わぁー、マイナスイオン一杯!」と言うが、電機メーカーが売りたさ故何の根拠もなく「身体にイイ」と言っているだけで、中にはマイナスイオンが一切出ていない製品もある。
(こういうこと書くから「このブログには毒がある」と言われる。。。)


目次ヘ戻る




【 74.続、滝の話 】



・何を以って滝と言うか難しいが、猿投七滝以外にも滝はある。  私が名前を付けている滝を紹介。

・イリーガルルートの「三段の滝」。
taki03


・頂上直結ルートにある「幻の滝」、落差3mぐらい。
 幻と呼んでいるのは、雨が長く降らないと消滅するからである。  このルートはよく歩くが、そこに滝があるとは長年気付かなかった。 ルートからは見えない。 ある時、滝の音が聞こえることに気付いた。 近づくのも結構困難な場所。 頂上から結構近い場所で、南の沢の水筋。
taki04


・その他、林道一号から南に藪漕ぎしていて、急に現れて感激した「ナイアガラの滝」と呼んでいるものもある。これは他にはない感じでよいが写真撮り忘れたので残念。


・不思議なことに猿投川側に名前がついている滝はない。



目次ヘ戻る




【 75.帰ってきた、滝の話 】



・広沢大滝は、豊田市最大とされているが、実は違う。九久平町の二畳ヶ滝が30mで一番大きい。


・【46.猿投山クイズ】X1の答えである。
 室町から江戸初期に、広沢大滝の南に浄土宗帰西寺という寺があり、かつて広沢大滝は「帰西寺ケ滝」という名であった。 その帰西寺は臨済宗廣澤庵が廃寺になったものの転用であり、廣澤庵も真言宗清瀧寺の廃寺の転用である。
 帰西寺は現在、みよし市福谷町蔵屋敷13に移転している。
(テストに出るから覚えておくように)


・広沢大滝は白鳳山勝景図15にも描かれている。
taki05



目次ヘ戻る




【 76.ぞく、まといのりすの話 】



・暗号でも何でもない。山路側以外にも生息が確認できた4匹の「まといを持ったリス」である。

・神社横、五平餅屋辺り。山路側のものと異なり、カラーである。さすが金満T市である。
risu10

・神社→登山駐車場の間にもいた。泥をかぶっていても、うれしそうな顔をしている。
risu11

・西の宮の鳥居横にもいた。
risu12

・西の宮の境内にもいた。これまでのとは、ちょっとデザインが違う。
risu13

・りす君、防火活動ごくろうさんです。

・すいません、どうでもいい話で。 みなさんが「暇つぶし」で訪問して下さっているのと同じように、こちらもその想いに応えるべき「暇つぶし」で、どうでもいいことを一生懸命書いてます。 それがこのブログの本質です。

(後記)
・七滝のトイレでも発見。
risu14

・御門杉の登山道入口でも発見。ちょっとデザインが違うぞ。
risu15

(追記)
・雲興寺ルートでも発見。
risu16


・ポケモンGOかいな?。


目次ヘ戻る




【 77.続、双子の兄ぃーちゃんの話 】



・「古事記 謎と真相』という本に、以下のような記載があったのでご紹介。
oousu1
oousu2
oousu3

・ふむふむ、「景行天皇、子供80人」。 すごい。 現在の天皇家からするとうらやましい話かと。

・ふむふむ、「臼を背負って」。 この話は聞いたことがあるが、天皇でも担ぐのか。。。 80回も担いだのか?

・ふむふむ、「こん畜生」。 景行さん、品がないなぁ。 今の天皇も、こう言いたいこと多々あるのだろうに。

・ふむふむ、「15歳」。 ほぉー。今で言う「中坊」である。


目次ヘ戻る




【 78.東海自然歩道の話 】



・猿投山様を中心に東西に延びる東海自然歩道。(誰が何と言おうと猿投山様が中心である)
 東京都八王子市の「明治の森高尾国定公園」から、大阪府箕面市の「明治の森箕面国定公園」までの、11都府県約90市町村にまたがる、長さ1,697 kmの長距離自然歩道とある。
 東京.高尾山、神奈川.丹沢、静岡.山中湖→本栖湖、秋葉山、愛知.鳳来寺山、猿投山様、岐阜.関ヶ原合戦場、養老の滝、滋賀.比叡山、奈良.若草山、京都.鞍馬山を経由する長い長いルートであり、踏破50日(=34km/日)ぐらいらしい。
tokai01


・愛知県は、
 鳶ノ巣山→(6.6km)→)阿寺の七滝→(5.9)→引地→(3.7)→鳳来寺→(5.0)→棚山高原→(8.5)→仏坂峠→(4.9)→鞍掛山→(4.5)→岩古谷山→(7.6)→田口→(4.4)→大名倉→(8.7)→段戸裏谷→(7.5)→寧比曽岳→(6.0)→金蔵連峠→(5.2)→平勝寺→(9.1)→香嵐渓→(5.4)→大島→(9.5)→勘八峡→(3.0)→広瀬→(10.5)→猿投神社→(5.0)→猿投山→(5.5)→雲興寺→(3.3)→岩屋堂→(9.5)→稚児橋→(7.9)→定光寺→(6.2)→道樹山→(3.5)→内津峠→(10.9)→入鹿池→(10.0)→善師野→(8.2)→ライン大橋
 に、恵那コース:寧比曽岳→(4.8)→伊勢神→(5.1)→猿ケ城跡→(3.7)→旭高原→(3.6)→奥矢作と、猿投山様自然観察路が加わり、全211kmある。

・雲興寺に三河全路の略図がある。
tokai02


・愛知県の詳細なルートは、ココ


・猿投山様の東海自然歩道は、朽ちた箇所も多いが、パトロール員や有志の方々の尽力あり、子供も高齢者も安全に登れる。


・先日の新聞で布施さんが語っていたように「登山者のマナーもいいので、ゴミも落ちてない」。定期的に清掃登山も実施されている。


・しかし、戸越峠の県道33号線はヒドイ。道端にはものスゴイ数の空き缶、ペットボトルである。悲しくなる。
 ゴミを出すのは人間だけであり、ゴミを出さない人間はいないが、せめてこの「ゴミは持ち帰る」という簡単で単純明快なルールだけは固執したい。 (すいません後味悪い記事です。書いているうちに方向性変わりました)


目次ヘ戻る




【 79.続、東海自然歩道の話 (豊田側編) 】



・愛知県の東海自然歩道の指導標には緑の△がある。これは愛知県固有のものである。

・豊田側猿投山様の指導標には、005-xxxという位置番号プレートが記載されている。これは、場所を表すものでレスキューコール時に有効。
 寧比曽岳山頂は003-030、伊勢神峠は001-032、
 これから判るのは、平成の大合併後に添付されたということである。

・ヒマだったので、猿投神社から全ての指導標をチェックしてみた。
annai90
annai91
annai92
annai93

・全71個のはず。ルート案内、啓蒙、大看板、説明、名所名の5種に大別される。

・No1、どこにあるかと言うと、猿投神社入口。
・No2、普通の写真に見えるが、これを発見した私はスゴイ。 誰も発見できないはず。
・No7、これも判りにくいところにある。
・No18、林道との出会いのところ。これだけ東海自然歩道のシンボルマークがある。岩古谷山とか新城地方の指導標には全てこれがあるが、猿投ではこれ(林道出会い)と東屋の指導標のみ。
annai18
annai89
・No32、大岩展望台上の分岐のところ。連番巡りは、ここを西の宮方面へ。
・No37、車道にあるのでショートカットすると見落とす。
・No52、井戸杉のところを最後に53-55が発見できない。どこ?見当も付かないが、どこかにあるはず。No31の分岐に戻る。
・No71、これが最後である。 頂上のは?→それは次号でご紹介。



目次ヘ戻る




【 80.続々、東海自然歩道の話 (瀬戸側編) 】



・ヒマだったので、雲興寺正規ルートの全ての指導標をチェックしてみた。

・前述の通り、豊田の指導標には位置番号があるが、瀬戸側にはない。番号をたぐるのが面白いのに残念である。
annai94
annai95

・神社→頂上=4.9km、雲興寺→頂上=5.1kmとほぼ同じだが、豊田側の方が2.3倍も設置されている。さすが金満T市、予算あり余っているのだろう。

・No30・31、頂上である。 位置番号プレートがないことより、瀬戸管轄と判断できる。 しかし、三角点は猿投町であるので理解不能である。


目次ヘ戻る




【 81.まだやるか!東海自然歩道の話(バッタモン編) 】



・東海自然歩道の指導標の擬木の支柱には「東海自然歩道」「環境庁」とあり、緑の△がある。 バッタモンの指導標を紹介。

・神社側登山道入り口。バッタもんかと思いきや、支柱には「東海自然歩道」とあるので正規品だろう。これだけ、位置番号プレートがない。付けれなかったのであろう。
annai80

・武田道出会い。 武田道にも指導標は多数ある。
annai81

・頂上手前の小ピーク。これは、緑の△を模してあるが、バッタモンと判断できる。 東海自然歩道の指導板の△は周りを彫って浮き上がらせてある。これは△自体が彫られている。
annai82

・雲興寺ルートの。△が黄色い。
annai83

・西尾根ルートの。一生懸命さは伝わってくるが判別不能。△は黒っぽい。
annai84

・正規品だが、肝心の指標がない。最近「滝↑、海上→」の手作りの案内図がハメ込まれた。
annai85

-バッタもんであっても、どなたかが登山者のために作ってくれたものなので大切にしましょう。決して、チキチキマシン猛レースのブラック魔王とケンケンのように矢印の向きを変えないように。


目次ヘ戻る




【 82.出川哲郎の話】



・ちょっと前の話であるが、自らが出川哲郎のパクリのようなアートディレクターが、東京五輪エンブレム盗作問題を起こした。久々に、出世欲にまみれたカッコ悪い男を見た。笑われながらも自分の立ち位置を理解し、プロとして仕事に徹する本物の出川の方が100倍カッコイイ。

・盗用を立証したのはgoogleの画像検索機能である。音楽ファイルの声紋技術を画像にも転用したもので、類似画像を検索できるようになった。 一昔前であればバレなかったが、この時代に生まれたのが運の尽きである。

・で、猿投山様をデザインしたものがないかと探してみた。瀬戸市立祖東中学のロゴマークで使用されていた(校章ではないらしい)。夕陽に映える猿投山がモチーフになっているとのこと。
soto


目次ヘ戻る



【 83.ずっと数えてみたかったものの話】



・昔から数えてみたかった。西は猿投温泉-山路から、東南北は国道・県道までを範囲に調べると240もある。多いとは思っていたが予想を超える数だった。ポケモンが見つかった場所ではない。

・これは砂防ダムの数。

・調べると、
  水を溜める為に作られたものは、高さ14m以上のものを貯水ダムといい、それ以下のものを堰提という。
  土砂を貯める目的で作られたものは、高さ約7m以上のものを砂防ダムといい、それ以下のものを砂防堰提という。

seki



目次ヘ戻る



【 84.全国カエル組合の話 】



・カエル岩、猿投山様のランドマークであり、シンボルである。調べると全国にカエル岩なるものは多数あり、噂ではカエル岩組合を作って、年に1回筑波山に集結し、活動報告会(18:00からは宴会)を実施しているらしい。 中には「私、カエルじゃないんですけどぉ。。。勝手にそんな名前付けられても困るんですけどぉ。。。」と声が聞こえてくるものもある。 各々に個性があるので、近隣のものを中心に集めてみた。

kaeru00

・①兵庫県香住海岸。大きさ、容貌、雰囲気、外海を向いている姿はいいが、よくよく考えると海にカエルは変である。怪獣的な大きさ、岩場の波立ちが東映の怪獣映画を彷彿させ、「ゴジラvsカエル」なりのタイトルを付けたくなる。ガマガエル系。

・②燕表銀座。蛙岩と書いて「げえろいわ」らしい。青空球児好児チックである。容姿としては、どこがカエルなのか理解に苦しむ。お釈迦様の右手のOKサインっぽいので、それ系の名前の方が合っているかと。

・③筑波山。46のガマとは、通常のカエルは前後とも五本指であるが、前4後6の特殊なカエルで、霊力を持っているらしい。筑波山と伊吹山にしかいないとされる。

・④滋賀県大津市。どうということない岩だが「蛙岩」なるバス停があるところが他にない。肝心の岩は「どこがカエル?」という感じで、地元の人も正直どれがカエル岩か知らないらしい。神社に奉納しようと自衛隊に移動を依頼したが、ビクとも動かなかったという記事もある。美白肌なのでメスかもしれない、角があまり取れてないので年期が足りない、とあれこれどうでもいい事を思う。

・⑤長野の上松。かなり雰囲気が出ている。ガマ系であるが、見ようによっては、クジラとも、イルカとも、遠吠えをしている馬とも見える。

・⑥金華山の「ぶじかえる岩」。交通安全の標語っぽい名前のアマガエル系である。

・⑦御嶽山濁河温泉口ルート。猿投山様のカエルのようにメイクされている。みんなに愛されている証と考えたい。カエルというよりオットセイ系である。

・⑧六甲山。カエルというより、何だろう。。。。ジュゴン、マナティー?もしくはモスラ?①と戦わせたい。「親が付けてくれた本名は福山雅治岩なんだけど、まぁ、みんながそう言うならカエルでもいっかぁ。。」と諦めの声が聞こえる。

・⑨恵那峡にもあった。んんん。。。どうなんだろう。首のとれたオットセイにしか見えない。

・⑩広島県福山市。カエルと言えばカエルだが、「ヘの字」口のセサミストリートのマペット系である。

・⑪南蔵王。どう見ても、カエルではない。ガメラである。これまた①と戦わせたい。

・⑫伊勢二見ケ浦夫婦岩の横。上下セットの親子を言っているのか不明。この岩を含め、カエル岩なるものを祭っている神社は多数ある。ある意味、こんな岩に神社を造り、奉る人間という生き物はお目出たい生き物である。


・総論。やはり、我らが猿投山様のカエル岩が一番可愛い。「よく頑張って登ってきたね」と声をかけてくれるし、春には頭にツバキを乗せてもらえるし、口紅も塗ってもらえるし、子供が乗っても怒らないし。猿投山の母性を感じさせる岩である。
kaeru01



目次ヘ戻る



【 85.築城せよ!の話 】



・猿投山様が舞台の映画。愛知工業大学の50周年記念として制作された、2008年公開の「築城せよ!」。
chikujo


・映画自体は良質の脚本ありきのリメイク。出演は、片岡愛之助、海老瀬はな、阿藤快、津村鷹志、江守徹、藤田朋子、ふせえり。。。。

・ストーリー(wikiより引用)
「愛知県の田舎町・猿投(さなげ)では、立派な石垣の残る戦国遺跡、猿投城址公園を巡って地域活性化を目指して岩手教授がリーダーとなった「城の復元を目指す住民たち」と馬場町長が推進する「工場誘致を目指す行政」とが対立していた。
住民が主導する遺跡の発掘現場に突然、3人の住民(石崎、勘助、ゴン)の肉体に憑依した戦国武将の霊が現れて、戦国時代の猿投の領主であったと主張する恩大寺隼人将は住民たちに築城を命じる。
最初は半信半疑だったナツキたち住民は隼人将と勘鉄斎の熱意にほたされ、少しずつ信じて協力を惜しまないようになって行き、岩手と佐々木といった専門家たちの協力も得たものの中々進展せず、痺れを切らした恩大寺はゴンの進言もあって段ボールで城を作ることを思いつく。
一方、馬場とその片腕で石崎の上司である二本松が建前上は「町おこし」として「合戦祭り」を企画して、猿投城の段ボールでの再建に協力すると見せ掛けて、実は工場誘致を早めるため、この段ボール城を叩き壊す計画を練っていた。」

・ネットで\300ぐらいだったので購入した。


(感想やら)

・滑稽無糖なストーリーであるが、悪い映画ではない。郷土愛に溢れている。

・紀香旦那がいかほどの歌舞伎役者かは知らないが、歌舞伎役者の存在感は際立っており、立ち振る舞いはやはり美しい。

・海老瀬はなは、歯もきれいで、美人だし、表情もいい。「京都きものの女王」だったらしい。なら、ウェディングドレスでなく、和装の方がよかったような。しかし、異文化遭遇がテーマなのでやはりウェディングドレスが正解であろう。

・阿藤快、ふせえり、津村鷹志、江守徹は味がある。こういうバイプレイヤーがいないと映画というものは成り立たない。しかし、阿藤快の大声のセリフは何言ってるか判らない(昔喋った記憶あるがいい人だった)

・鈴ケ湖がきれいな湖であればもっと映えるのに。。。。

・甚平の甲冑師さん、風貌、セリフ廻しから俳優かと思っていたら、本物の職人さんとのこと。ウマっ。

・瀬戸の銀座通り商店街、昭和の匂いプンプンの大好きな場所。がんばれ!

・浮浪者役の木津誠之(NHK真田丸の長束正家役)は愛知出身。エンディング曲は、多和田えみという沖縄の歌手。映画のコンセプトからして地元のシンガーにすべきだったのではと。

・エンドロール見てたら、協賛に我が社が出てきてビックリ。何やっとんねん。。。。

以上、親父が映画監督だったのもあり、昔映画狂だった私から見た感想。



(その他)

・今でもユンボ放かりっぱなし。誰が片づけるのであろう。。。

・城は、12000個のダンボールを地元のスーパーやらで集め、京都から呼んだ宮大工集団清水工務店が5日で築城したとのこと。清水工務店のブログ にも記載が。

・製作費は3億らしい。映画製作費としては格安だが、こんなもの(失礼)に投資する体力があるのであれば、授業料安くして学生に還元しろと言いたい。私大通いの娘には年間160万かかっている。日本の大学の授業料の高さは異常であり、そもそも金取るのは日本ぐらい。そもそも憲法で禁止されている私学助成金も受け取ってもいる。そもそも大学の授業料なんていくら高くしても「あそこは高いから受験はやめとこ」なんてならない性質のものである。そんなこんなで、分捕った金で、不必要に広大な土地を買い占め続け、不必要に豪華な校舎やグランドを増設し続ける。お大尽な甘えた存在である。。。ブツブツ。

・まぁ、愛之助結婚祝いということで。

・見たい方いればいつでもお貸しします。


目次ヘ戻る



【 86.ナスカの地上絵の話】



・猿投山様に地上絵があるのをご存知だろうか? これ(左下)である。アメーバのようで気持ち悪い。
golf01


・そう、ゴルフ場である。周辺を見ると思いの外たくさんある。
golf02


・私は「ゴルフ」というものをやらない、というか完全否定派である。以下「これでもか!」と言うぐらい完全否定しますので、ゴルフ好きの方はスルーを。

・ゴルフ場は、広大な土地を必要とする。 平均86.8haらしい。 ヘクタールと言われてもピンとこないので、坪に換算すると270,000坪である。 そこには数えきれない生物が生息していたが、そんなことお構いなしに、重機で切り開いて造成する。 なんと自然に優しい娯楽であろう。

・そんな膨大な土地を使うが、楽しむことができるのは日にたった200人程度である。 野球と比べると、ナゴヤドームはあの大きさ(小ささ)で、平日でも何万人もの人が楽しんでいる。 それに比べると。。。なんと効率のいい娯楽であろう。

・見栄え良い芝生を維持する必要があるため、年3tの農薬と大量の化学肥料を散布する。 農薬は土壌に沁み込み、雨とともに川に流れ出す。 川に生息する生き物や、下流に住む人のことなんてお構いなし。 大切なのは都会から来るお客様だけ。 なんと地元に優しい娯楽であろう。

・農薬は気化し、「わぁー山の空気はおいしいなぁ」などと言って深呼吸するプレイヤーや、長時間芝の上にいるキャディの体内に入り、目がイタイやら皮膚がカユイやらの症状を起こす。 なんと健康的な娯楽であろう。

・日本人のゴルフ好きは異常である。 この狭い島に2400コース、世界2位の多さである。 総面積は27万ヘクタール、東京ドーム5万個以上、日本国土の0.7%に該当する。 神奈川県より大きく、日本の全公園面積の2倍である。 山の少ない愛知県でも現在60近く、岐阜は90近くある。 ハワイのゴルフ場の2/3も日本資本である。 なんと日本人にマッチした素晴らしい娯楽であろう。

・何千万も払って会員券なるものを購入する。 購入したらからといって、無料でプレイできる訳ではない。 これを外国人に話すと「何それ?ゴルフ場でも買うのか?」とバカにされる。 なんと金満な娯楽であろう。

・愛知60と書いたが、全盛期は86ぐらいあったと記憶。 そう、銀行の口車に乗り融資を受け、巨額をはたいてオープンするも、芝生整備だけで年2億、若者のゴルフ離れあり、続々倒産。 バブル崩壊~2017年までに倒産したゴルフ場は907コース。負債総額は16.6兆円。 愛三岐だけでもびっくりするぐらい潰れてる。 その数なんと125.。 なんとバブリーな娯楽なのであろう。

・不幸にもホールインワンやアルバトロスなんかしたら、勝手に祝賀会を開催されたり、記念コンペやら記念樹も強要され、数十万も請求される。 「ご祝儀をもらう」ならわかるが、キャディ含め同伴の人に「ご祝儀を出さないといけない」決まりになっており、このための保険もある。 不幸にもホールインワンした同僚は、携帯で本部に連絡しようとするキャディを制し、口止め料2万円を渡し、事なきを得たと。 なんという勝手なルールを強いる、スリルに満ちた娯楽であろう。

・人種差別にも満ち溢れている。 海外では未だに有色人種や女性が入れないコース多数。 コケイジャンであるTウッズ人気で、ようやく門戸を開き出したが、一番有名なオーガスタなんか閉鎖クラブの典型で未だ白人しか会員になれない。 女性が会員になれたのも2012年のことである。 何と人類愛に満ちた娯楽であろう。

・「大名古屋ビルヂング」を笑うくせに、臆面もなく「カンツリー」を名乗っている。

・今まで何百人にも言ってきた私の持論は「ゴルフをやる奴は人間のクズね、そんなに自然を壊してまで遊ぶ権利は人間にはない」。  いつかこの地道な啓蒙活動が身を結び、地球上からゴルフというものが消えてなくなることを祈ってやまない。


目次ヘ戻る



【 87.(多分)最後の東海自然歩道の話(コンプ!編) 】



・【 79.続、東海自然歩道の話 (豊田側編) 】で、どこにあるか見当も付かないと書いたNo53~55の標柱を見つけた。
hodo01.jpg


・思いもよらないところ。。。という程でもなかった。 言われてみればそうね、と気付く。 気になる人は探してください。 ヒントはNo53です。 判らず気になって寝れない人はメールください。 すっきりさせてあげます。 とりあえず、これでコンプ。


目次ヘ戻る



【 88.猿投山近辺の秋の実りは恐ろしいの話】



・猿投神社側に行くのに保見→加納の抜け道を使っている。 絵にかいたような里山で好きな風景である。 探検すると色々面白い秋の風景に出会えた。
aki01

・中京大学の紅葉。 なかなかキレイではあるが、この季節ではよく見る光景。
aki02

・恐ろしいほどのなんてん。 何これ。。。すごい。
aki03

・近づいて見ると、すじこ以外なにものでもない。
aki04

・恐ろしいほどの柿。 何これ。。。すごい。
aki05

・近づいて見ると、訳が分からないほど生っている。
aki06

・そして、四季桜も満開。 花が小さいので伝わらない。
aki07

・近づいて見るとちゃんと満開。
aki08

・その他、訳の分からないほど色々な色の花が咲き誇っており、この時期が一番きれいということを今更ながらに知った。


目次ヘ戻る



【 89.猿投山様を守る団体の話 】



・看板には団体名が記載されているが、実にいろいろな団体が猿投山様を守ってくれているのが判る。

 深見景観いきいき会
 瀬戸市消防本部・消防団・少年消防クラブ
 瀬戸防火防災協会
 瀬戸防火防災協会連合会
 (社)日本山岳会東海支部 猿投の森づくりの会
 尾張県有林事務所
 猿投地域会議
 猿投中学校・生徒会
 猿投山愛護会
 猿投山登クラブ
 森林国営保険
 豊田市警察署
 豊田市消防本部
 豊田市名木愛護会
 豊田市教育委員会
 豊田加茂ライオンズクラブ
 愛知県商工部観光課
 宮内庁
 東海財団

・またまた看板ネタであるが気になったものを紹介。

・猿投山愛護会とやら。書体からして、「お願いですから。。。捨てないで。。。」感に溢れ、とても懇願されている。
dantai05


・ライオンズクラブ。よく聞くが何者?
 →世界最大の社会奉仕団体。 全世界で45,740クラブ、会員数は約134万人。日本国内で3,311クラブ、会員数約10万9000人。「その地域に居住地や事業所を有している会員の集まりというわけではない」とある。
 ということは、友達の話に出てくる「友達の友達」のような実態のないものか? Lionsは、Liberty, Intelligence, Our Nation's Safety(自由を守り、知性を重んじ、われわれの国の安全を図る)の頭文字らしい。
dantai03


・東海財団。何者?
 →ネットで出てこない。。。。諦めずに手を変え品を変え調べると判った。「1975年5月に東海銀行が設立した社会貢献活動財団」のこと。へぇー。
dantai01


・少年消防クラブ。何者?
 →「防火・防災思想の普及を図ることを目的として、小学生から高校生まで全国に4500のクラブ、約42万人のクラブ員、約14000人の指導者で組織されており、日ごろから防火やさまざまな訓練の実施、防火パトロールや火災予防ポスターの作成などを通じ地域における防火・防災思想の普及に努めています」とある。毎年、霞が関で優秀チームの表彰をやるみたい。無理矢理感満載のクラブである。大人のやることはエゲツない。
  ちなみにこの看板は【58.シュールなものの話】で紹介した北側トイレとは別の、雲興寺入口設置のもの。基本構図は同じであるが見比べるとちょっと違う。
dantai02


・森林国営保険。何者?
 →現在この保険は独立行政法人森林総合研究所で運営。「林業経営者等の所有する森林が山火事や台風,大雨等の災害で損害を受けたときに,その損害を補てんする国営の損害保険制度」とある。
dantai04


目次ヘ戻る



【 90.こんなところに猿投山(大正の広重編)の話 】



・子供の頃(50年前)は名古屋市東部に住んでいた。 今では想像もできないが、藁ぶき屋根の農家があり、平針街道も未舗装であった。 植田なんて山で、藤が丘も何もない山で親父は釣りに行っていた。 動物園が鶴舞公園から東山に移転する際「あんな山の中に造って、誰がいくんかい?」とあったそうだ。 何が言いたいかというと「名古屋の端っこも、ちょっと昔は超田舎であった」ということである。

・話は変わり「大正の広重」と呼ばれた吉田初三郎(1884~1955)という鳥瞰図絵師がいた。 先の天皇陛下に「これはおみやげに最適ですね」と京都の鳥瞰図を誉められたことに後押しされプロとなり、日本全国の街の精密な鳥瞰絵図作品を残している。 名鉄常務に招かれ犬山にアトリエを持ったのもあり、愛知の作品も50種類ある。 また、小川文太郎というコレクタが収集した3124点が名古屋市博物館に寄贈されている。 彼の作品で「猿投山様」が描かれているものをいくつか発見。

・「名古屋天白渓図」昭和7年
 八事の向こうにあった天白渓遊園という別荘地であり、右上が猿投山である。 富士山のような山容になっているが、意図的に富士山を模したらしい。
TEN01


・「名古屋市鳥瞰図」昭和11年
 これは汎太平洋平和博覧会のために製作されたもので、精密で隅々までとっても興味深い。 私の高校の前身も、八事球場、鳴海球場も、和合ゴルフ場も描かれている。 伊勢神宮、富士山はいいにしろ、九州、更には韓国まで。 空には複葉機、海には帆船というのもおもしろい。
NAG01

 雲興寺の横が猿投山様のはずだがない。。と思っていたら、ずっと右に「猿投山」と記されている。距離感がおかしいが、よしとしよう。 
NAG03
NAG02


・「愛知県鳥瞰図」昭和2年
AIC01

 猿投山をズームアップすると、鳥居が3つあるのが判る。
AIC02


・「中部日本觀光鳥瞰圖」昭和12年
 台湾、はたまた樺太まで描かれている。猿投山は描かれているが恵那山は影も形もなし。
chu01

 猿投山をズームアップ。
chu02


目次ヘ戻る



【 91.北斎と猿投山様の話 】



・みなさん、この絵はご存知かと思う。 そう富嶽三十六景「尾州不二見原」である。
fujimi01


・これが描かれた場所は、名古屋市中区下前津の富士見という町である。
「ここから、猿投山の左肩に富士山が見える」という話があり、それ故富士見台という名が付いたとのこと。
fujimi02


・疑問に思うのは
 (1)昔から何度も議論されてきた「名古屋から富士山は見えるか?」は、「1000m以上の高度がない名古屋からは南アに遮られて見えない」と結論付けられている。
 (2)猿投山の左肩?
 (3)北斎が書いたこの山は?
である。

・位置関係を調べると、まず富士山は見えたとしても猿投山様の右肩である(青線)。
 では、左肩に見えると言われた富士山、北斎が書いたものは何?というと、聖岳というのが定説となっている(緑線)。
fujimi03

・ちなみに千種区にも富士見台という地名があり、八事にも富士見というところがある。また伏見も富士見が原型という説もある。

・富士山が最後に噴火したのは1707年12月16日10時の(宝永山ができた)宝永大噴火であるが、その噴煙が名古屋から見えたという記録もある。江戸時代には富士山が普通に見えたという記録も多数あり、名古屋城の天守閣最上階からは快晴の日の日の出前に富士山が見え、志賀・田幡・御器所・前津からも同じ形に見えたと記したものもある。

・近世になり、名古屋地方気象台(千種区春里)のレーダーが新設された時、この「名古屋から富士山が見えた説」の白黒を付けるために正確に計測した結果、やはり見える可能性はなく、1976年3月16日朝日新聞夕刊に「不二見原から富士山見えぬ レーダーが無情の確認」との記事を掲載したとのこと。
 →後日、図書館で記事を入手しました。
fujimi99

・まぁ昔は、南アも今の半分ぐらいの高さしかなく、富士山はどこからでも見えていたのであろう (そんな訳ないか)。

・「名古屋から富士山が見えるのか?」が主題になってしまったが、もちろん猿投山様から富士山は見えない。


目次ヘ戻る



【 92.こんなところに猿投山(今村橋)の話 】



・名鉄瀬戸線水野駅近くに今村橋という橋がある。 この欄干に瀬戸染付焼きの陶板が18個展示されている。 
imamura1

・サインは「Shozo Ito」とあるが、詳細は不明。 猿投山が描かれているものを紹介。

・「赤津より猿投眺望」とある。
imamura2

・説明はないが猿投山様である。 なぜ判るかというと、この橋から見える猿投山と同じなのである。
imamura4

・調べると、瀬戸川にかかる近辺の橋には色々テーマを持った作品が掲示されているらしい。
 ねずみ志野の柱に草花が描かれた東橋
 黄瀬戸の陶版に十二支の宮脇橋
 染付けのモザイクタイルがモダンな神明橋
 江戸時代の陶器造りの様子が見られる宮前橋には欄干に狛犬
 緑鮮やかな織部の南橋
 欄干全体が織部の作品となる芸術的な吉田橋、
 大きな陶板に染付けで瀬戸の風景が描かれた今村橋


目次ヘ戻る



【 93.もうひとつのお鞍岩の話 】



・久々の「もうひとつのシリーズ」。 

・以前書いたが、「お倉岩」でなく、旧名の「お鞍岩」にこだわっている。 倉でなく鞍に似ているからである。 
OKURA01


・よーく見てください、真ん中ちょっと後ろが平らに凹んでおり、座る部分がある。 だから鞍なのである。 実際、周りに誰もいないのを見計らって、カウボーイさながら跨いでみたことがある (大の大人が何をやってるのだろう)。 ちょっと手前のトロミル水車横に馬の碑である馬頭観世音があることからも、鞍だろうと思っている。
OKURA03


・もうひとつ、西の宮下の沢沿いの誰も通らないルートに「もうひとつのお鞍岩」と呼んでいる岩がある。 そう、これも同じように座る凹みがある。 しかし跨ったことはない。 理由は「いい大人だから」である。 
OKURA02


目次ヘ戻る



【 94.こんなところに猿投山(古地図編)の話 】



・世の中便利になったもので、大学の貴重な所蔵物もネットで閲覧できる。で、京大やらスタンフォード大やらのデータベースに入ってみた。さすが我が母校(ウソ)、地図マニア垂涎のお宝がザクザク。

・日本海山潮陸図(1691年)、「さなき山」とある。
kochuzu01
kochuzu02


・日本輿地路程図(1775年)、猿投社の記載がある。
kochuzu03
kochuzu04


・御天守五重目御見通地名方角附録(1755年)、名古屋城天守閣からの眺望図である。
kochuzu05
kochuzu06


 もうひとつある。これかぁ。。。猿投山の左肩に駿州富士と書かれている。
kochuzu07
kochuzu08


・伊能中図中部近畿(1804年)、猿投山様の頂上から後光ならぬレーザービームが拡散されている。
kochuzu09
kochuzu10


・伊能図こと大日本沿海略図(1867年)、思いっきり「☆猿投山」と記載されている。さすが忠敬。
kochuzu11


・官板実測日本地図(1867年)、素晴らしい、堂々と「猿投山」とある。さすが忠敬。
kochuzu12
kochuzu13


・尾張明細圖(1876年)、山路まで描かれているが猿投山様がない。。。。現在は境川を境に尾張と三河が分かれるが、昔の境は違っていたのかも。
kochuzu14
kochuzu15


・そしてこれ、スタンフォード大学の大学院生だった現オハイオ州立大学教授メイユ・シェイ氏(女性)が、8年前スタンフォード大学フーバー研究所ブラナー地球科学図書館地下の引き出しが並ぶ暗い部屋で発見した帝国陸軍測量の地図(1912年)。 国家機密であったが、アメリカは全部持っていたのである。 (そんな国に勝てる訳はない)
kochuzu16

 よぉーく見ると色々なことが判る。 
  ・戸越峠が石越峠となっている (似た字なので間違いか?)
  ・広沢川上流の309ピークの右に工場の地図記号がある
  ・深見二等三角点を通る東の宮直結ルートはやはり主要道
  ・山頂左から西尾根ルートでないルートが伸びている

 現在との地形図と比較。
kochuzu17

 この地図本当に面白い。自宅近辺やらを見てみると色々な発見があると思うので是非に。 ここです。



目次ヘ戻る



【 95.執念のクリスマスプレゼントの話 】



・ひょんなことから、昭和2年(=90年前)に撮影された猿投山登山道の映像があることを知った。 市街地の古い映像はあっても、猿投山登山道を撮影したものは地球上にこれだけであろう。 「何としてでも見たい」と息巻くが、そもそもどこにあるのかも判らないという不思議な状況。 勘を働かせ「ここか?」と思ったところに半信半疑で連絡したところ、「詳しくは判りませんが、多分うちです」との回答。 「見たい、撮影したい、ブログに載せたい」旨で何度もやりとり。 やれブログ名はとか、撮影申請書を出せとありながら、ようやく来た回答は「視聴は可能。但し、原本は猿投神社所有の物なので、撮影するには神社の許可をとれ」とバッサリ。 んんん。。。面倒くさい、諦めようかなぁ。。。 しかし、そんなことで諦めるほど、私の猿投山様に対する愛情は薄っぺらなものではない。 ダメ元で、神社へ赴き、お祓い業務で忙しい宮司さんを掴まえ直訴したところ、「ここには8mmしかないので再生できない。xxxでDVD化したものを持っている。営利目的でないなら、まぁ撮影は問題ないでしょう」と快く承認頂けた。 これぞまさに神対応。
これを受け、再度申請し、12/24訪問で調整。ここまで約1ケ月。ストーカーもどきの執念。 通された部屋で、胸の高鳴りを抑えつつ、自分へのクリスマスプレゼントを視聴。 す・す・すごい。。。涙腺崩壊しそうな映像の嵐と、次々に判る驚愕の事実。

・映像は2部構成の無声12分で、随所にイラスト付きテロップが挟まれる凝ったもの。 さすがに映像の公開はできないので、ほんの一部を。

(1部:瀬戸線での旅)

 1-①名古屋城

 1-②堀川駅 (瀬戸線の起点駅で現地下鉄丸の内駅近くにあった)

 1-③大津町駅 (名古屋城外堀の中にあった駅)

 1-④大曾根駅 (中央線にはSLが走る)

 1-⑤矢田川 (電車は一両編成、貨物車も)

 1-⑥名古屋飛行学校 (現守山東中の場所、複葉機が離陸)

 1-⑦尾張瀬戸駅 (「とせりはを」の看板がいい)

 1-⑧瀬戸の陶磁器工場

 1-⑨瀬戸町の全景

 1-⑧雲興寺遊園地 (今はない滝に打たれる)



(2部:尾三バス(平戸橋に本社があったバス会社)での旅)

 2-①東区.東田町 (新栄と東新町の間にあった町)
meguri02

 2-②平針.秋葉山

 2-③田籾.鶏石

 2-④猿投神社 (鳥居は明神鳥居)
meguri04

 2-⑤広沢池(第1コース)

  ・広沢川沿いにあった池
  ・古い地図には池があるのでそれと思うが、映像からは砂防ダムを言っているようにも見える

 2-⑥水車小屋(第3コース)
meguri05

 2-⑦菊石(第8コース)

 2-⑧乙女の滝、白菊の滝

 2-⑨西の宮(第10コース)

  ・同じ位置から撮影したものとの比較。 色々な違いが判る。
meguri90

 2-⑩御陵

  ・同じ位置から撮影したものとの比較。色々な違いが判る。
meguri91


 2-⑪御船石

  ・どうにも不可思議な絵。 2つともほぼ同じ高さのはずだが、下の岩の方が全然低いのである。 撮影位置に立って検証したら謎が解けた。 そういうことね。
meguri10

 2-⑫東の宮
meguri11

  ・山頂方面か? まるでアルプスである。
meguri13

 2-⑬サンドスキー場 

  ・こんなものがあったとは。。。。絶句。 緩と急の2コースある。


 2-⑭猿投神社


・この映像、地球上で神社とココと私しか持っていないはずなので大切にしよっと。 ご協力頂いた方本当に感謝です。


目次ヘ戻る



【 96.唯一のお地蔵さんの話 】



・猿投山様にお地蔵さんはあるようでない。 【 59.もうひとつの水神さんの話 】で北一色の西の入池のほとりのお地蔵さんを紹介したが、猿投山で唯一知っているのは広見林道のものである。 やさしい顔をしている。 右はせんとくんっぽい。
jizo03



・お地蔵さんとは何ぞやと思い調べてみると、「地蔵菩薩とは、釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道を輪廻する衆生を救う菩薩である」と。 へぇー菩薩だったんだ。。。56億年。。

・考えると、こんな道端にポイと置かれて、可哀そうなものである。



目次ヘ戻る



【 97.ずっと探していたものの話  (全日空機事故編)】



猿投山様のwikiを見ると「1962年には、全日本空輸のビッカース バイカウント機が、ふもとの国有林に墜落する事故を起こしている」とある。 墜落した機は、これである。
Viscount01


国会の運輸委員会議事録から推察し、この現場をずーっと探していたが、全然わからず、山麓で農作業に勤しむ地元の年配の人を掴まえては「知りませんか?」と尋ねまくるが、「知らない」との返事ばかり。 そんな中、唯一、中アで出会った猿投ジモティ青年に聞いたところ「おじぃーちゃんがそんなことを言ってた」と。 しかし、それだけ。 何年もずっーと気持ち悪かったので、ちゃんと調べることにした。

全日空に聞いても事故の事なので答えをくれるとは思えず、まず当時の新聞、しかも地元の中日新聞が閲覧できる場所を探すと、鶴舞図書館で可能と判った。 雪降る中出向き、資料の開示を申請し、司書の方の協力を仰ぎ、資料を入手。 文字拡大端末で事故翌日11/10の記事へ。。。???。。。事故の事など何も書かれてない。 スマホで調べると、wiki記載の「1962年11月9日」は誤りで「11月19日」が正解と判り、ページを進める。 あった!翌日11/20から数日、詳細な記事が掲載されている。 肝心の場所は、。。。「現場は勘八峡ダムから東へ600mはいった。勘八山の中腹約30度の傾斜面に・・」(原文通り)とある。 →「。」は不要で「600m入った勘八山の」の誤字であろう。 
記載の地図が完全手書きなのも趣き深い。 →「墜」の字が怪しいし、「とよだ」と記載されているようにも見えるし、「豊」の下も微妙。
Viscount02
anyway、猿投山山麓ではなかった、ちゃんちゃん。

ついでに、自分の生まれた日の新聞やら、【20.獅子丸一平の話】で記載した毎日新聞夕刊やら、ダンプ事故の記事も閲覧。
更に新聞記事をキーワード検索できるシステムで「猿投山」を検索すると、知らなかった色々な事件の記事が。 以前から事件の話をまとめて「猿投山事件簿」として書きたいとも思っていたが、事件の記事を書いても猿投山好きは増えないし、特にダンプ事故はご遺族の方もいるのでやめておくのがいいかと。

とりあえず、モヤモヤは払拭された。
バイカウント機の記事は、コピー採ったので、見たい方いれば。

さぁ、最終回に向けて、ラストスパート。どんどん濃厚に。


目次ヘ戻る



【 98.北斗の剣と猿投山の話 】



・ケンシロウが実は猿投山に登っていたという話ではない。 北辰一刀流の創始者、赤胴鈴之助にも登場する江戸後期の実在の剣豪千葉周作が猿投山に登った話である。 北辰とは、千葉家が守護神として崇めていた北斗七星のこと。 司馬遼太郎の作品で彼の半生を描いた「北斗の人」という作品があるが、ここで、彼は猿投山に登り、挙母の鹿子木一閑という剣豪と猿投神社で対決するのである。 若い頃、明治維新マニアだったので、司馬遼の明治維新系作品はほぼ読破しているが全然覚えていなかった。

・小説では、千葉周作が「猿投山に登った」とあり、そこで刺客に襲われ、軽くいなし、
imamura1
imamura1

 (中略)その後、神社境内で一閑と対決し、軽く勝利する。

imamura1
imamura1

・司馬遼は歴史研究家並みに徹底的に調査した上で作品を書くため、実際とフィクションの境が曖昧であるが以下となる。
  江戸→三河への道場破りの旅 → 実際している
  豊田の長興寺に逗留 → 逗留の記録があるらしい
  猿投山に登った → 脚色だろう
  猿投神社で対決 → 脚色だろう
  対決した相手鹿子木一閑 → 架空の剣豪

・鹿子木一閑は架空であるがモデルがいる。 それは千葉周作の弟子で挙母出身の海老名三平邦飛と言われている。 海老名三平は、「挙母藩維新の三傑」の一人西川徳化の実兄で、千葉周作門下で剣術を学び、挙母・尾張藩の剣術師範を務め、豊田市花本町に家があった、とのこと。 昭和の爆笑王林家三平の本名海老名との掛け合わせなのだろうか? そうであると、「どーも、すいません」となり、どうにも強そうには思えない。 しかし、笑点のレギュラーの座と美人のかみさんを手にいれた二代目はラッキーである。


目次ヘ戻る



【 98.執念の誕生日プレゼントの話 】



・以前から、古い猿投山の登山道地図があることは知っていた。 昭和初期に神社社務所が販売していたもののようで、右上赤『猿投登山案内図附井上農場』と、左上『猿投山登山案内図』という二種類ある。 鮮明な画像皆無でよく判らないが。昔のランドマークが描かれているようであり、どうにも見たいとずっと思っていた。 しかし、100年近く前のものであり、残存しているのか、どこにあるのか全く不明だった。 大阪の古物商で売りに出しているのを見つけるも、どうにも踏ん切りつかず、何年も「売れたらイヤだなぁ」と思いながらも購入を迷っていた。

・誕生日近くのある日、ある画像を発見した。 杜若高校近くの文化財旧井上邸を訪れた方の10年前のブログで、そこのテーブルの上に案内図が置かれているのである。 しかし記事の構成上、井上邸にあったのか、違う場所の話なのか判断付かず。 まずブログ主に「あなたの10年前のブログの。。。」でメールするも返信なし。

・ならば、と管理主体の民芸館を訪問し、詳細説明し、色々調べて頂くも「ここに該当するものはない。郷土資料館で所有しているか確認する」とのこと。 待つこと数日「郷土資料館にあることが確認できた。担当は・・」と回答あり。感謝。

・郷土資料館に閲覧希望のメールを出すも、一週間経っても返信なし。 痺れを切らしTELすると「担当はインフルで休み、土日で学芸員が対応できるのは企画開催する1ケ月後」とあり、「じゃぁ、それで」と。

・待ちに待った当日朝(というか、間空き過ぎて忘れそうだったが)、昼過ぎに訪問する旨でメールするも返信なし。 訪問しても「聞いてません、忙しいので応対できません」とならないかと半信半疑で訪問。 受付で「日進の・・・」と申し入れるやいなや、傍らに立っていた女性学芸員が「私です、応対します、2Fへどうぞ」と案内される。(わざわざ待っててくれたんだ。。感謝) 重厚な箱が運ばれ、テーブルに柔らかいシートが敷かれ、お目当ての紙切れ一枚がその上に広げられる。
annaizu01

・昭9年版であった。 「す・す・す・すごい。。。。た・た・たまらん」、マニア垂涎の一品とはこのことである。 よだれダラダラ。 
 今まで不明であった、ろうそく松、一本松、夫婦杉の位置が明らかになった。 
 千本桜、三軒家、千本檜、風鈴つつじ、知らなかったランドマークがたくさん記載されている。 
 蛙岩は「カワズ岩」という名であったことも判る。 
 本家と元祖の屏風岩論争もやはり元祖が正解ということも明らかになった。 
 現七滝以外に白瀧というものがあり、これがメインになっている。 
 お鞍岩近くに磯部大明神という神社が明記されている。
 索道も描かれている。

・続いて、裏面を見る。 「た・た・たまらん。。。。」失神、失禁しそうであった。 ランドマークの詳細だけでなく、今と全然違う6つの登山道の詳細がぎっしり記載されている。 押印されているスタンプから【95.執念のクリスマスプレゼントの話】で触れた尾三バスの猿投山登山ツアーで配布されたものと推測できる。 部屋の暖房がキツイのも手伝い、興奮で汗ボタボタ。貴重な資料に垂れないように必死。
annaizu02

・学芸員さんにこの案内図の意味を(偉そうに)レクチャーし、紙切れ一枚に一時間見入る。 「他に昔の猿投山を知ることができる資料はありませんか?」とお願いすると、あれこれ紹介頂くがみんな既読である事を伝えると「あんた何者?」的に呆れられる。
 ひとしきり見終え、案内図が自分にとっていかに貴重な資料だったかの感謝を述べ退室し、1Fの資料コーナーへ。 さすが郷土資料館、見たことのない資料があり、片っ端から読み漁り、ある研究論文を開いた。。。。「あった!昭11版(左上タイトル版)や」。ぼんやり画像でしか見たことはなかったが、鮮明に読み取れる。  昭9年版にないランドマークもある。 キャンプ場。。。。やはりあそこはキャンプ場だったんだ、長年のモヤモヤが確信に変わった。

・帰宅後、興奮冷めやらず、「これは入手せねば」と大阪古物商から買い入れし、一週間後到着。昭6年版であったが、内容は前述昭9年版と同じ。 こんなうれしい誕プレはない。 これ以上があるとすれば「猿投山様」自体をプレゼントされることかと。



目次ヘ戻る



【 100.不動明王の話 】



・最終話になります。 このブログを立ち上げた時から「最終話はこれ」と温存していた、とっておきのネタで締めくくります。

・誰も知らないが、猿投山様に不動明王像がある。 猿投温泉の不動明王ではない。 れっきとした猿投山麓である。 大きな岩の上におられる。 近くに道もあるが道からは何も見えず、また岩の真下に行っても、ほとんど見えないため、誰もその存在に気付かない。
fudo02

・近づくにも、夏場でもアイゼンが必要なぐらいの結構強烈なザレ場。
fudo03

・岩の上から下界を見下ろしている。
fudo04

・背面に文字が刻まれているが判読不明。
fudo91

・正面から撮影したくても足場はなく、踏み外せば大怪我するような場所。 落ちないように何とか撮影。やさしい顔をしている。
fudo92
fudo93

・ひっそりとお過ごしになっているので、南麓の車道内側とだけ言っておきます。


目次ヘ戻る



【 あとがき 】



「猿投山登山に革命を起こした」とまで言われた、このブログですが、100話を区切りとして一旦終わります。

このブログを通じて、たくさんの人と知り合うことができ、自分も猿投山様の深耕ができ、「やった甲斐があったなぁ」と満足しています。 ネタ切れという訳ではなく、逆に書きたかった話は山のようにあります。
・もうひとつの城跡
・もうひとつの御門杉
・もうひとつの文部省碑
・もうひとつの展望台
・ダンプ事故の話
・神社火事の話
・神社不祥事の話
・演習林封鎖の話
・3台の廃車の話
・半田の伊藤さんの自転車の話
・命を落とされた3名の方の話
・外人トレハンとの出会い
・文久永宝の話
・黒水晶の話
・数えてみたかった鉄塔の数
・一番大きな岩
・一番太い木
・一番高い木
・探しているもの「WE LOVE mt.SANAGE」
・探しているもの.スキー場
・探しているもの.広沢池
・探しているもの.雷の碑
・探しているもの.大崩落地
・まだまだある、4つの廃屋
・一番好きなルート
・幻のルート
・かもしかの寝床の話
・かもしかのトイレの話
・ゴミだらけだった猿投山がきれいになった訳
などなど、ディープになり過ぎて、誰も付いてこれなくなった感がありますが、また気が向いたら書こうかと。


猿投山様は低い山です。 これから高くなる予定もありません。
数回登ると飽きられ、アルプスなど高い山に鞍替えされ、「まだ登ってるの?」と見向きもされなくなる山です。
他の山で「ホームは?」と聞かれ、名前を出すと小バカにされる山です。
しかし、老若男女和洋犬子供、たくさんの人に愛されている山です。
私も溺愛し、隅々まで登りまくり、気が付けばエベレストに30回登ったのと同じぐらい登りましたが、今でも登る度に発見と出会いがあり、止める気はサラサラありません。
ホームです。 ホーム=家です。 家に飽きる人はいないのと同じです。
目標1000登頂、これからもずっと登り続けます。
これまで猿投山バカにお付き合いくださりありがとうございました。

最後に一句
 アルプスで「ホームの山は?」と訊かれれば、胸張り応えよ「猿投山!」


目次ヘ戻る